マヤ遺跡 ウシュマル遺跡 [海外旅行]
ウシュマル遺跡 ユカタン半島北部 メリダから約70㎞。
500年~1200年までシウ家が支配。チチェン・イッツァと同盟を結んで、ユカタン半島北部を支配した。その後チチェン・イッツァ衰退とともにマヤパンへ権力が移行。シウ家はマニへ首都を移す。1550年代まで人が住む重要な場所だったが、スペイン征服後シウ家はスペイン同盟者となる。その後この地は放棄された。マヤ遺跡の中で数少ない保存状態のよい遺跡である。
美しい神殿 「魔法使いのピラミッド」
卵から生まれた小人が一夜にして建てたと言うマヤ伝説がある。
側面の曲線と上にある建造物が魅力的。
拡大すると、やはりチャークが描かれている。階段の横にもずっとチャークが付けられている。
尼僧院(支配者の宮殿)入口・・・独特な三角のアーチ。正面は魔法使いのピラミッド
尼僧院の横壁を見ながらもう一つのアーチをくぐった。
方形の広場を囲んで東西南北にデザインの違った長い建物がある。正面の建物が「総督の館」?長さ100mに及ぶ大きな建物である。
壁面の切り石モザイクを拡大するとチャーク(雨神)と幾何学的な模様で校正されている。これに白と赤の彩色がほどこされていたら、見事だったろうと想像する。
東側の建物 シンプルだが美しい。 拡大すると両方に頭のあるヘビが8匹並べられている。
西側にあるククルカン(ヘビ)のモザイク
「球戯場」 ここでは、ボールをけるなどして中央にあるリングに入れた方が勝ちという試合をした。勝敗により、どちらかのチームが生贄になった。
グランピラミッドと言われている北面のみ修復されているピラミッド。周囲は瓦礫の山。上からは遺跡が見渡せる。すぐ隣には壁だけがジャングルの中で白く峰を突出す鳩の家。
またもや総督の館が出て来るのですが・・・・良く分かりません。チャークと幾何学模様が整然と施されています。その時代では世界最大級の建物だそう。全景なし。
魔法のピラミッド、尼僧院をバックに
マヤ遺跡 ティオティワカン遺跡 [海外旅行]
テォティワカン遺跡 メキシコソティーから30㎞余
紀元前2世紀~6世紀まで反映した巨大な宗教都市遺跡。7世紀末には衰退し廃墟になったこの都をアステカ族が見つけ「神々の座所」「ティオティワカン」と名付けた。
「ジャガーの神殿」神官などが住んだ場所。区切られた部屋の様な場所や、水洗トイレであろうと言う所場所もある。 壁画なども残されている。
壁画:羽毛の頭飾りをかぶった天空のピューマが星のシンボルの前で羽飾りのあるホラ貝を吹いている。
鳥(ケツァル)も鮮やかに残っている。
太陽の神殿 パイを使った公式に見事合致した建築設計になっているそうだ。ここは、正面から上まで登ることが出来た。この地下には七つの洞窟がが枝状につながる洞窟がある。これは人類の起源の地という伝説に由来する洞窟である。
太陽の神殿から真直ぐに伸びる広い通りは「死者の大通り」と言い、南北に5㎞延びている。この道路を中心として10万~20万の人が住んでいたとされる説、ここは道路でなく水を溜めたプールだったという説などある。このプールを使って地震観測をしたのではと考えることもできると言う。
「月の神殿」 ピラミッドの4隅には小さな人骨が埋められていた。雨乞いのために子どもを生贄にしたと言う。
マヤ遺跡 カバー遺跡・マヤパン遺跡 [海外旅行]
Ⅰ 「 カバー遺跡 」 メキシコより遥か南メリダから約70㎞
熱帯雨林のマヤ低地北部にあり、750年頃から発展して1000年頃衰退。雨神(チャーク)だらけの仮面の宮殿がメイン。
正面が宮殿
コッツ・ポープ「仮面の宮殿」
仮面の宮殿を拡大すると 壁面には雨神チャークが一面描かれている
転がっている石には、様々な顔が彫られている。
支配者の像・・・王らしき人の手のひらを見ると指が6本有ったのではないかとみられる。近親結婚も多くあった証ではないかとされている。
漆喰で復元された壁
Ⅱ 「 マヤパン遺跡 」 マヤパンとはマヤの旗を意味する。チチェン・イッツァの支配に反乱を起こした有力な貴族たちの連合体。チチェン・イッツァ衰退後1220年~1440年の200年間。人口は約15000人。
マヤパン遺跡の羽毛のあるヘビ(ククルカン)の神殿(カスティージョ)と同じ 右側からこの上に登ることが出来る。急な石の階段である。
上からの展望・・・ジャングルに囲まれた中に建つ遺跡。
これらは漆喰で上塗りをし、そこに壁画やレリーフなどが描かれていたと言う。しかし、何が描かれているのか分からない物が多い。銅像などは全て取り除かれメキシコ民族博物館に置かれているらしい。
途中で、何やら動く物がいた。イグアナ!大きいもので体長70㎝くらいはあった。孫が大喜びするに違いない。
メキシコ国立自治大学 [海外旅行]
壮大な思想・歴史を描く壁画
大学構内になど入って観光出来るのかと思っていたら、広大な敷地に郵便局、銀行、バスの運行など一都市を抱え込んでいる地だとのこと。
大学の競技場を外から見た。大きなスタジアムで、入り口にはリベラ作の立体壁画があった。
ラテンアメリカを象徴するコンドルとメキシコを象徴するワシを描き、黒人の男女が子どもを守るような姿が中心に描かれている。スペインからの搾取と差別の歴史を経て、自由を手にした独立。そして1968年のメキシコオリンピックを開催したスタジアムである。あらゆる人の尊厳と自由希望を表現したのではないだろうか。この壁画をを見ると優しさと包容力、前に向かっていく明るい未来を見ることが出来そうだ。大学がこんな素晴らしいスタジアムを持っているなど、日本では考えられない。素晴らしい理念を持った教育の場がここには有りそうだ。
図書館の外壁には4面全て壁画でおおわれていた。先ず南側「スペイン植民地時代の圧政」
北側は「アステカ文明」
西は学生たちの現代メキシコに置ける役割
東は「太陽と月宇宙、科学、政治」を表していると言う。(画像が無くて残念)
本館にはシケロイス作「民衆から大学へ、大学から民衆へ」の立体壁画がある。腕を真直ぐに伸ばす4人の群像は学問、言論の自由を表現か?
さらにこの北にはペンを持つ手の腕が武装している。ペンと武装?共感しかねる。が、現実なのかもしれない。
このようなキャンパスで勉強している学生の話を聞きたくなった。
MEXICOの山 [海外旅行]
イスタシワトル山 5286m (プエブラへのドライブインにて)
ポポカテペトル山5426mの隣にあり、イスタシワトルを横たわっているお姫様、ポポカシテペトルを姫の横に凛として立つ戦士とし、伝説が語り伝えられているとのこと。
イスタシワトル山は登ることが出来るが、ポポカテペトルは活動中の火山で登山禁止とか。メキシコシティーが標高2240mあり、メキシコシティの近くには4100mまで車で行き4690mのネバード・デ・トルーカ山に日帰りで登り、高度順応出来る山がある。途中に月と太陽と呼ばれているカルデラ湖がある。・・・5000M級に登るにはうってつけのようですね~
「イスタシワトル」を候補に挙げておこうか?
イスタシワトル山とポポカテワトル山 (反対側から) 写真拝借ペリカントラベル
ポポカテワトルの噴煙がずっとたなびいていますね。
MEXICO [海外旅行]
2015年2月21日~28日 MEXICO
2月28日 「アステカ文明とマヤ文明」
<プロローグ>
成田発15:30なので 朝もゆっくり9:54佐久平発の新幹線で義姉と合流して成田に向かう。上野で京成に乗り換え一時間をかけて成田第一ターミナル4階集合場所に到着。すでに義理の兄、姉、妹は来ていた。総勢5人の海外旅行。旅費は全て〇〇ちゃん持ち。兄妹でそろって海外旅行が出来るなどめったに無い事。凄いよ。これで兄妹海外は3回目なんだから。
スペイン語圏は初めて。一昨年一年間ラジオで友達を講師にやってみたけれど、動詞が一人称・二人称で変化するのには着いて行けず何も残っていないままだ。少しでもスペイン語に触れたらやる気の出ることを期待しての旅行でもある。 夢はアンデス・ペルーの山々・・・・
成田発は15:30。直行便とは言っても15時間かかる。途中で日付変更線を通過。同日の13:30ごろ到着。出発時間よりも2時間前に到着してしまうと言う、何とも嬉しい?長い一日を過ごす事が出来そうだ。
MEXICO到着 情熱の国・ジャングル奥にマヤ文明のロマンを秘める地MEXICO
さっそく国立人類学博物館へ
<アステカ室>
アステカ帝国は1325年から1521年まで現在のメキシコシティーにアステカ人が築いた都市国家。テノチティトランの人口は数十万人。世界最大級の都市であった。ジャガーの戦士・鷲の戦士を中核とした軍国主義。
ジャガーの石像(夜の支配者)
入口にあるジャガーの石像:これは「クアウシリカ」と呼ばれ、生贄の心臓を入れるために使われた。背中に穴があいている。アステカの人々は毎日太陽が昇ってくるためには生贄の心臓が必要と信じ、毎日2個の心臓を神に捧げた。・・・何とも最初からこんな血なまぐさい話になろうとは・・・しかしこれはマヤでも行われおり、信心の根底にあるものである。
太陽の神である鷲 現在のメキシコはステココ湖と言う湖だった
アステカ族は13世紀にメキシコ盆地にに到着。ステココ湖周囲はすでに多くの先住民がいたので、この小島で定着し国を建てた。1325年。その後灌漑をを進め農地を広げ勢力を拡大。スペイン人が到来した16世紀には大帝国を擁立していた。スペイン人はここにあった神殿を破壊し埋め立て都市を築いた。今のメキシコシティーである。国立人類博物館アステカ室の展示品はメキシコシティー地下から発見された物。
太陽の石・アステックカレンダー
これを読み説いたミゲル・ネリの文は他ページで
アステカ・カレンダーである。直径9Mの大きな物。中央は擬人化された太陽。太陽の周りにある4つの絵文字はすでに滅んでいる4つの太陽。第1の時代はジャガーによって、第2の時代は大風によって、第3の時代は火の雨によって、第4の時代は洪水によって滅んだとしている。絵文字はジャガー、風、火の雨、水を表している。
2番目の輪はナワトル語の20日の暦名。3番目の輪は装飾模様。4番目の輪はトルコ石翡翠のシンボル、春分・夏至・秋分・冬至のシンボル。
一番外側は、2匹の火のヘビ。ヘビは下で向かい合い、大きな口を開けている。
アステカによると今の時代は第5の時代。第5の時代は大地震でほろぶことになっているとのこと。
コアトリクエ「ヘビの婦人」アステカの大地母神
表 裏
頭の部分は2匹のヘビが向かい合うような形で、口からはヘビの牙と先が二つに分かれてヘビの舌が出ている。この2匹のヘビは、斬首された頭の代わりにいかれたもので、首から両肩にかけて流れ出す血がヘビの頭の形で表され、腕を形作っている。切り取られた人間の手と心臓と頭蓋骨が女神のペンダント。スカートは曲がりくねった無数のヘビ。何とも耐えがたい姿だ。
首から流れ出すヘビは豊穣祈願を、手・心臓・頭蓋骨でできたペンダントは太陽を養うための血と生贄が必要な事を表し、この像は人の誕生と死を象徴しているという。
アステカの神々
左は<ショチビリ>「花の王子で青春・愛・踊り・詩・劇」などを司どる神。体には花の模様を付け、花と蝶で飾られた玉座に座っている。右はシワテテオ。将来戦士となる男子を出産する際に命を落とした女性はみな<シワテテオ>という神になるとされていた。戦場で死んだ戦士の魂を運ぶ役割をしたと言われ、蓋骨と鉤爪を持っている
<死の神の司祭の姿> <その他の神々だろうが・・・>
死は俗世の苦役からの解放の地とか
その他の石像など
上の円形の台の様な石は、捕虜を載せたとされる。 これも、心臓を捧げるための像
周りには戦士が戦っている様子が掘られている。
心臓をえぐって、手で持っているのか。
アステカ人の殺伐とした生き方考え方などとうてい理解することは出来ない。
宇宙観・暦の正確さなどには感心する。これだけの科学的な物を生み出しているのにそこへ神話を重ねている。現在のメキシコの国章はアステカ伝説に由来する。アステカ人が首都を決めるために「サボテンの上にヘビを食らう鷲がいる土地」を探して200年彷徨った伝説をとりいれている。
<マヤ室>
マヤ文明は紀元前4000年~1524年の間メキシコ南東部マヤ地域を中心として避けた文明である。先古典期前期(紀元前3000年 - 紀元前900年)先古典期中期(紀元前900年 - 紀元前400年)先古典期後期(紀元前400年 - A.D.250年)古典期前期(A.D.250年 - 600年)古典期後期(A.D.600年 - 900年)後古典期(A.D.900年 - 1524年)
7世紀バレンケ王朝最盛期の遺跡パレンケより出土
バカル王の翡翠の仮面 復元された王の墓室 パレンケの石棺
バレンケ遺跡から出土 ユカタン半島の付け根にある。中々行けない場所らしい。
バカル王と言われている
石棺の蓋は死者が夕日と共に地下世界に下り、そこで新たに生まれ変わるという考えによる。一方、ロケットを操縦している「古代宇宙飛行士説」もある。
下はバカル王がこれでチョコレートを飲んでいたとされるコップ どの時代どこかは分からないが
美しいレリーフ
マヤの人々
マヤの貴族
奴隷や捕虜か?
翡翠の飾りが目立つ
後古典期(A.D.900年 - 1524年)遺跡チチェンイッアーにあったチャクモール(生贄の心臓を捧げる)後期古典にはアステカの影響が見られ下のような石像が見られる。
国立人類学博物館入口の壁画 フィーノ・タマヨ作「昼と夜」
アステカは悲壮感が漂い、戦士などの像もあった。人間の歴史は奪い合い、侵略、殺し合いを刻んできたようだ。マヤの方は人間味が出ているように感じた。
秘湯 本沢温泉 [山行2014]
本沢温泉~硫黄岳 2014-1-12・13 H・Y・M
1日目:稲子湯登山口 9:15~緑池11:10休憩~本沢温泉13:00
2日目:本沢温泉7:30~夏沢峠9:00~野天風呂9:50~緑池~登山口12:50
佐久合庁に8:00集合。佐久側から登るとこんなにゆっくり出られて幸せ。
Yさんの車に便乗して出発。小海のセブンに寄る。記憶なんていうのは不確かで、松原湖の入口手前にこのセブンがあったのか、もっと向こうに有ったのか途中であやふやとなったが、手前にあって安心。トイレを済ますことが出来た。
稲子湯から上はバスが行っていないので、通れるか心配だった。案の定、轍が出来、真ん中は雪が盛上がり、車体の腹を擦りながら登った。駐車場はいっぱいで、入口にスペースが一台分だけちょうどあったので駐車出来た。
準備をして出発。快晴!透明に張りつめた冷たい空気と青い青い空が眩しい。
なんて気持ちがいいのでしょう。
約2時間でみどり池到着。緑池の向こうには、雪を頂いた天狗岳が凛と立っていた。
ここからの天狗が一番好きだ。
登りで汗ばんでいた体もあっという間に冷えて来る寒さ。休憩もそこそこにして本沢へと立つ。栂の木の生い茂っている登山道をトラバース。陽ざしが無いので寒く感ずる。出発から約4時間。今日の宿泊地にたどり着いた。歩行時間は短いが、寒さが厳しいのでやはり疲れていた。
昨年暮れに出来あがったばかりの「石楠花の湯」が迎えた。湯殿があるだけの小さな小屋だが、全部木で作られ、木の香りがしてくるのではないかと思われた。
夕食までは時間があるので、ひと風呂浴びることに。中に入ると温泉の湯で温められているのか温かい脱衣室。中は、5畳位の部屋を半分にして、湯船と洗い場がある。「熱い!」桶に汲んでやっと体に懸け流す。何回かでやっと入ることが出来た。入ってしまうと・・・・この熱さが何ともいえず素晴らしい。深さもあり、湯量はたっぷりある。冷え切った手足がしびれ、やがて、温まった。鉄分を含んだ湯がさらに、体を温めてくれる。さむさに縮んでいた肩の力が抜けて行った。・・・・寝る前にもう一度ゆっくり浸かってほっこり温まって寝ることが出来た。
小屋には勿論薪ストーブのある談話室があり、部屋には豆炭こたつがあった。連休中日だが、全部埋められてしまうこと無くゆとりある宿泊だった。
<2日目>
昨夜雪が少し降り、今朝も曇っている。風が無いことを祈りながら登る。途中でウールのシャツを脱いだ。これが間違っていた。夏沢峠に着くとすでにそこは寒風の吹き抜ける場となっていた。これから登るのに着なくてはと、上着を脱ぎシャツを着込む。その間手袋は薄い物の一枚。仲間は「行ける所まで行きましょう。」と言うが、上を見ると雪交じりの暗い雲が渦巻いているのが見える。これでは樹林帯を抜けたら強風に押し戻されることは分かり切っている。
「あれを見て。」「もうやめて帰りましょう。」と言うとあっさり「そうしましょう。」となり、来た道をすたすた下った。下り始め、手が猛烈に冷たくなった。さっき手袋一枚で脱ぎ着をしていたせいだ。なんて迂闊なことを。風のある場所では絶対やるべきではないのに。それでも、しばらく下るとじんわりと感覚が戻ってきてほっとする。
ここから登るのは初めてという二人なので、「野天風呂」に立ち寄ることにした。下るまでの道がすでに雪に埋もれている。以前あった脱衣出来るようなテラスが無くなり、土嚢が積んであった、崩れてしまったのに違いない。やっと一人が湯船に近づき写真を撮る。全く雪の中の野天風呂である。こんな所で入れる?寒くて脱げない!寒くて出られない!第一脱いだものはどこに置くの?出た瞬間に氷りそう!
冬はやっぱり石楠花の湯でしょう。
本沢温泉に置いたワカンなどを持ち、後はひたすら下る。
そして、八峰の湯(やっほーの湯)に入った。人気があるらしく沢山の人で混んでいた。
温かくて広くていろんなお風呂があって、またまた、違う意味で、ゆっくりくつろぎ帰路についた。
~~すぐ撤退してしまって何だか物足りない気持ちが残ってしまった。温泉三昧の山行でした~~
本沢温泉までは、雪上車の迎えがある。ただし、降りてから2時間林道を歩く事になるし、帰りは雪上車は出してくれない。林道を2時間歩くなら、4時間歩いて、緑池からの天狗岳を仰ぎ、山道を歩くのがたのしいだろう。それに、下りはひたすら林道というのは考えただけでも御免こうむります。
冬のライチョウ [山行2012]
乗鞍岳 ライチョウ観察会 2012・3・17-18 21名参加
長野県山岳協会自然保護委員会主催
天気予報は最悪。低気圧が日本を覆い、南風が吹き込むと同時に前線が通過し、不安定な天気になる。Uさんから昨夜「決行するの?」と電話があった。委員長に確かめると、誰からも問い合わせはないし、今のところやるとのこと。山岳会で山に行くとしたら、多分中止にしているだろうなと思いながらも、乗鞍スキー場第3駐車場に全員集合し出発。リフトで上がり始めると、雨交じりの雪に横殴りの風が吹き付け、前を見ていることが出来ない。 しかし、今日は実行する。
リフト終了点で再集合。3班に分けて出発。
講師をしていただく信州大学の中村浩志教授は一足先に出発されて行ったが、その軽快なスノーシューさばきにみとれた。
9時出発。ワカン・スノーシュー・山スキーなどそれぞれである。約2時間登った所で、下って来るスキーヤーに会う。事務局長の知り合い。「上は凄い風でしたよ。下の小屋付近で降りてきました。」と言う。乗鞍は上に出たら遮るものが何も無いので、まともに風を受け歩くことも困難な時が多い。やはり今日も同じだ。
2時間半歩いた所で、剣ヶ峰と位ヶ原山荘の分岐となり、樹林に入って一休み。そこから赤旗が10Mおきに立てられている右に回り込んで行った。左の尾根で風が遮られ歩きやすかった。
30分もすると山荘の屋根が見えほっとする。林道は雪でいっぱいになり斜面の続きのように盛り上がっていた。雪が柔らかいので、滑落することはなさそうだった。一か所雪崩れる場所では、間をあけながら素早く通過。無事山荘に到着。
しばらく休み、希望者は観察に出かけることになった。山荘から上のダケカンバがぽちぽちと生えている位ヶ原一帯にライチョウは生息しているとのこと。登って行った。
すぐに院生の小林篤さんが「いました~」と叫ぶと同時に斜面を勢いよく駆け上がって行く。見るとライチョウも斜面をとっとことっとこ素晴らしい速さで駆け上がる。中村先生が「上に廻って。上に廻って!」と叫ぶ。小林さんは斜面を走る。ライチョウとの競争であるが、ライチョウの速さは本当に凄い。ダケカンバの木々の間からちらちらと姿を見せながら上へ下へと走り廻った。
写真機を出している間にライチョウは見えなくなってしまう。2羽のうち一羽だけやっと画面に入れることが出来た。見えるかなあ。
斜面をトラバースしながら探す・・・・いました!ところが、観察未熟者集団では、後ろから追いかける形になってしまい先生から指示された取り囲みには失敗。しばらくして、Uさんがストックを上げて合図を送ってきて、その場を囲むように大きく巻いて上に登って行った。皆で取り囲む。Uさんは見事先回りしてライチョウをストップさせることに成功。雄3羽の群れを間近に見ることが出来た。
満足に浸っている間もなく、後ろにも、横にも次々とライチョウが姿を現わした。先生は、「足環付いていた?何色?」と聞いてくるのだが、赤らしき色は見えても、赤?オレンジ?・・という程度であって、識別は難しかった。
今日見たのは雄ばかり。標高2500Mの位が原周辺には雄のみが越冬するとのこと。2.3羽ずつで群れて生活する様子を見ることが出来た。雌はもう少し下の急斜面で冬を過ごすのだそうだ。
コメツガの木の根元にライチョウの雪穴を発見。ちょど体がすっぽり入る大きさで尾羽の辺りに十数個の糞がある。このような所で顔だけ出して、休んだり、夜を過ごしたりしているようだ。糞は細長い。ダケカンバの幼木の芽を食べていることが分かった。
気付いてみると、氷粒になったみぞれがばしばしとウェァーに打ち付ける吹雪の中にいた。ライチョウを無我夢中で追いかけている間、この春の嵐を忘れていた。むしろ心地よささえ感じている。出発時、中村先生の満面笑みと、弾む足取りがこれで納得できた。
山荘に帰り、中村先生と院生小林篤さんの貴重な話をお聞きした。小林さんの発表で印象に残っているのが雛の生存率。卵から孵化直後1ヶ月くらいの間が急に落ち込んでいる。9月になると雛はほぼ親と同じ大きさになり冬を越すことが出来るまでになる。夏と冬の生存率を比べると冬は一段上に折れ線を並列することが出来るほど差がみられ、命を落とすのは夏の間に多いことが歴然としていた。また、日本のライチョウの卵の数は北極圏のライチョウよりも少なく平均5~6個位、子育てが一番うまくできるのは生後2~3年位・・・などライチョウの生息状況を月ごとに何年も続け、つぶさに調査してまとめた貴重な発表だった。
吹雪の中で、7羽のライチョウに行き会った今日の観察では、識別など難しかった。山の急斜面を登ったり下ったりしながら、ライチョウを探し、調査を続ける。その大変さを思わずにはいられない。
次に中村先生からライチョウの置かれている厳しい現状と原因、そして現在ライチョウを増やすために取り組んでいることなどお聞きした。
南アルプス白根三山におけるなわばり数の変化のグラフが示された。1981年真っ黒に書かれていたなわばりが、20年の間に本当に少なくなりまばらになってしまった。南アルプスではライチョウが減少している。
しばらく前まで長野県には約3000羽いると言われていたライチョウが、最近の調査で、推定1653羽であると言う。随分減ってしまった。
日本の高山は聖域として守られ、人々は近くの里山を利用し自然と共存した生活をしてきた。それが高山帯の植物をそのまま残してきている。世界中で滅んでしまった貴重な高山植物帯を日本は持っている。しかし、今、そのバランスが崩され、低山の動物が高山帯に侵入し南アルプスでは山頂まで被害が拡大している現状である。北アルプスにもその危機は迫り、イノシシ、ニホンザル、クマ等による様々な害が見られている。日本のライチョウにとって緊急の課題は、高山に侵入した野生動物の問題である。
「大切なものは、失くした時に気づくのです。」・・・と中村先生は危機感を訴える。
卵から孵化した雛の一カ月間の生存率を上げるために、子育てにあたる雌と雛をゲージの中に誘い入れ、外敵から守ろうという試行が始まっているとのこと
現在、ライチョウをとりまく様々な問題が進行している。先ず、低山動物の高山への進出である。ライチョウの天敵であったり、食草を食いつくしてしまう。また、少ない個体数ゆえに山岳ごとの遺伝的隔離による適応力が低下している。地球温暖化により棲むことが出来なくなる。など危機が迫っている。
低山動物が高山進出するようになったのは、日本人の生活が変化したことによる、人と野性動物の棲み分け構造の崩壊が挙げられる。我々人間の生活がライチョウを追いやってきた。
日本の高山には高山植物がまだ残されているが、これらが無くなってしまったときに、初めて人はその貴重さに気づく。それでは遅い。今の現実を見つめ保護することを実践することが大切である。
最後にこの写真は、Kさんが撮ったものをおかりして記録として残したい。雷鳥が人を恐れない歴史を築いてきた日本の素晴らしさをこの姿に託したい。
天狗岳 [山行2013]
天狗岳2645M 12月26(木)~27日(金) M・H
Mさんは八ヶ岳に行きたいと願っているのだが、中々その機会に恵まれず、また、阻まれている。
そこで、簡単確実なコースを選んで一緒に登ることになった。
新潟の彼女は、前日夜の9時頃家を出て、梓川で仮眠をしていたと言う。意気込みが凄い。
10:00茅野市役所集合。早お昼をデニーズで豪華に食べて出発。
このお昼はスタミナを維持し、快調な登りを保障してくれた。
12:30渋御殿湯出発。橋の手前の小屋で計画書を提出。小屋までの樹林帯を標高差550Mを登る。
2万5千図を拡大し、高度計と比較しながら登ることとする。
変化のある部分では確実に決められるが、だらだらと続く登りなどでは、場所の特定は難しかった。
いったいどうするの?お恥ずかしいことです。
14:10黒百合ヒュッテ着。約2時間半の行程。
ほどよく雪があって歩きやすい。曇っているのでほとんど見通しは利かなかった。
天気予報も期待は出来ない。今夜低気圧が通り過ぎる。ややもすれば、明日の午前中は大荒れで登れないかもしれない。
いつもテントだったので、この小屋に泊まるのは初めて。
荷物置き場の棚、こたつ、ストーブが2台、広いスペースを一階にとってあり、赤々と薪ストーブも燃えている。温かく過ごしやすい。人気の元はこのようなリラックススペースがふんだんにあるからだろうか。
宿泊者はたったの7人だけ。山はウイークデイに限る。
夜半には雪が降り始め、朝までに約30㎝ほど積もった。
7:15小屋を出発。私達より先に出た人たちがラッセルをしていってくれている。
樹林帯を抜けると岩稜帯に入るので、今までのトレースはすべて消されており、吹き溜まりには1メートルくらいの雪が積もっている。
先に行く人の足跡を辿り、石楠花やハイマツを踏みしだいて登った。
天狗の奥庭方面への分岐点・・・山頂まであと少し
9:30東天狗山頂に到着。
登る途中では視界が利かず、やや風もあったが、山頂に着くと同時に様子が変わってきた。厚い雲を通して太陽が光を届け、西天狗、箕冠山、硫黄岳の東斜面を見せてくれた。
それでも、山頂の風はさすがに冷たく早々に下る。
後ろを振り返るとまだ山頂に残っている人の姿が輝いていた。
10:30黒百合ヒュッテにもどり、下山開始。
Mさんの下りは強い
後を追いかけるのだが、さらさら雪の滑りに乗せられて私は転ぶことしきり
・・・・七転び八起き・・・ スカルパの靴にしてからどうも 滑ってしまう。
渋御殿湯にて800円の温泉に浸かり帰宅
今シーズンの冬山第一歩でした
初冬の摺古木山 [山行2013]
長山協ミーティング 11月30日~12月1日
中央アルプス最南端に位置する摺古木山と、大平宿での宿泊と聞き、
めったに行くことのできない山と昔の宿場に泊まれる魅力に魅かれ、友達を誘って参加した。
飯田に住んでいる友達と、大平宿へと車を走らせた。飯田から木曽の大桑に繋がる古い街道である。谷間をくねくねと細い道を登ること約一時間。古い民家が数件出てきた。屋号が書いてあるので宿場宿だったのだろう。昭和45年住民は移転をし、廃村になってしまった。その後、大平宿を守る会が発足し、ずっと維持管理を続けているとのこと。しばらく前までは、飯田の小学校ではここまで来て宿泊訓練を行ったそうである。友達は何回か引率して来ていると懐かしんでいた。
<摺古木山2169M>
台所で使う「すりこぎ=擂粉木」と書くがここは表記の通りである。
登山口1800M地点から雪に覆われ、ずっと雪道を歩いた。初冬の雪は柔らかく、歩きやすい。
今日は、高校生が登山大会などでやる読図テストをされることになった。なからの読図は出来るが、チェック地点が紙面で5㎜ずれると×になる。これは結構難しい。高度計を使ってもよいと言うことだったが、見ると電池が少なくなっているのか言うことをきいてくれないので、アバウトで行く。・・・不断からもう少し真面目に読図しておくことを反省。
空は青く澄み、樹氷の付いた木々が輝いている。
なだらかな山容が続く中央アルプスの最南端。日本昔話を思わせる山の中である。
途中、大きなつららが目に留まる。もうこんなに寒いのか・・・松の葉の雪も落ちてこない。
小一時間で山頂到着。
しばらくいると汗した体が冷えて来る。御嶽山、南アルプスまで展望が素晴らしい。
集合写真を撮影して下山
夜は囲炉裏を囲み鍋に舌包みを打ち、語らいのひとときを過ごした
ミスミソウ「三角草」 [山行2013]
角田山の三角草(雪割草) 2013-3-24
雪国の山では 春を告げる清楚で美しい花々が三月下旬から咲き始める
多様に変化した優しい色と
杉林の下でしっかり根を張り 可憐さゆえにより強く逞しさを見せる
雪割草を訪ねた
下る途中 地元の方に声をかけられた 一週間前にも来られたとのこと
群生地を教えていただき周回
存分に雪割草を楽しむことが出来た
大日岳・奥大日岳 [山行2013]
山岳会合宿 「大日岳・奥大日岳組報告」 2013-9-21 Kさん・H
大日からの剱
行程:9月21日 称名滝登山口7:30 大日平9:50 大日小屋13:30 大日岳往復 9月22日 大日小屋7:00 中大日岳7:15 七福園7:30 奥大日岳9:40 剱沢14:00 9月23日 剱沢小屋6:00 テン場6:30 ベッさん北峰7:30 室堂11:00
剣岳・八峰バリエイション・大日岳の三班に分かれて山行後、剱沢で合流し宴会をするという計画の合宿。私は大日稜線の魅力に惹かれ参加。
<1日目 標高差1600m>
称名滝登山口からしばらくゆるやかな登山道で準備運動。その後、いよいよ急登が始まった。汗まみれになってはいるが時折吹く涼しい風に押され快適なアルバイトだ。オオバユキザサやタケシマランの赤い実を楽しみながら登る。牛の首手前で頭上をトロッコで登って行く作業者に行き会った。一本のレールに乗っているだけのトロッコなのに空中を傾きもせず人3人と荷物まで乗せていた。
牛の首と言われるだけあって、岩や梯子があり、がんがん登った。と、急に緩やかな木道。「ここが長いんだよ~。」とKさん。約2㎞はあっただろうか。草原の先には大日岳が見えてきた。
大日平小屋でアイスクリームの3点盛りがあったと言う。楽しみして行ったら、「今年は出来なくて・・・大日三山をイメージしているんですけどね。」と言われてしまったとのこと。残念。湿原には湖沼周囲にイワショウブ・ワレモコウが花を付けていた。またもや緩やかに登り始める。石だらけの沢?と思いきや、沢は別のラインで合流。冷たい水で汗を流し、最後の登りにかかった。山頂付近はきれいな岩が連なっている。「あの岩登れそうだ。」「中々いいじゃん。」「あのてっぺんでの~んびりしたいな。」など話しながら小屋に到着。ここで、忠告。Kさんとは大日岳山頂に行かないこと。絶対ガスに巻かれて何も見えなくなること間違いなし。今まで何回も来ているのに一回も晴れたことが無いと言う。今日こそ晴れるぞと思っていたら、休憩してさあ登ろうとすると、急にガスがまき始め山頂は何も見えない。下って小屋に着いたら嘘のように晴れわたってしまったのだから。
<2日目 展望満喫・フルーツ三昧の稜線散歩>
大日からの展望は初めてである。先ず、薬師岳が大きく見えると言うのが不思議。剱も勿論その雄姿をナナカマドの向こうに見せた。
朝寝をしてゆっくり7時出発。山頂らしからぬ石の上の中岳山頂を過ぎると、「七福園」という日本庭園に着いた。始まったばかりの紅葉にハイマツの緑と岩の重なりが心地よくまったりする。薬師の向こうに雲ノ平、黒部五郎、鷲羽、水晶・・・あれは、傘・・オゥッ・・槍まで見える・・目前には紅葉した奥大日への稜線、後ろは今歩いてきた大日と中大日。眼下には弥陀ヶ原と立山連山・・・最高の展望!
それに加え奥大日への登山道がまたまた素晴らしい。稜線直下の湿原を横切って行く。サンカヨウやキヌガサソウの咲き終わった後、そして小さな湖沼、タテヤマリンドウが迎えてくれた。奥大日でゆっくり休憩し剱沢へと進む。雷鳥平はテントで彩られていた。奥大日からトラバースする登山道にはベニバナイチゴがたわわに実り、ルビーのように透き通った赤い実を下げている。道々口に放り込んで甘酸っぱさを味わう。雷鳥平に近づくと今度はクロマメノキ、コケモモ、シラタマノキ等歩きながら楽にとって食べられる所に沢山生っている。剱沢まで行けばよいので山のフルーツを味わいゆっくり剱御前への稜線を楽しんだ。ここを通る人はこれらが食べられることを知らないのかなあ~。
剱沢のテン場と小屋は昔に比べたら随分離れてしまった。他のメンバーがいるテントまで登って宴会をして帰るなどとてもごめんだ。宴会は二人で密やかに?小屋の談話室で賑やかに?他のパーティーと交流しながら行った。
<3日目 別山>
せっかくなので、別山に登って帰ることにした。そして下りはまた昨日の奥大日への道を下って雷鳥沢へ。雪融けの遅い場所ではまだチングルマやミヤマゼンコウ、イワイチョウの花が見られた。
今回初めて富山側から登ることが出来た。中々な登りと、変化に富む稜線、素晴らしいやまなみを堪能。三連休にも関わらず静かな稜線歩きがゆっくりと出来た。 素晴らしい山でした。
レブンアツモリソウ [山行2013]
レブンアツモリソウ群生地 2013-6-11
20株位はあった。木道から見るとしたに俯いているので写真の納まりはあまり良くない。
今が最盛期である
女王の輝きと気品を備える
レブンアツモリソウに惹かれる
囲まれた場所でしか生息出来ない姿は寂しい
礼文島 花散策 ②スコトン半島から [山行2013]
2013年6月11日 ~昨夜は久種湖畔キャンプ場で過ごした~
広い草原の真ん中に小奇麗な管理棟があり、周囲にはコテジが並ぶ ランドリーもあるようだった。さすが北海道。風呂はすぐ近くに船舶湯という町営の銭湯がある。町内は夜になると閑散としていて、まるちゃん食道に行きたかったけど聞く人の姿も無かった。快適な就寝で5時にはぱっちり目覚め朝食をとり6:00出発!
歩いてレブンアツモリソウ群生地へと向かう。道路脇にセンダイハギが朝日に輝いていた。
群生地は柵で囲まれ厳重に管理されており、8時にならないと開けてくれない。斜面から見える一株を写真に収め、先ず、スコトン半島から散策後ここで見ることとする。
~スコトン岬から~
須古頓岬と表記し、アイヌ語で「夏の集落」という意味だそうである。向こうに見える島はトド島(海驢島)
須古頓小学校 2000年に閉校となっている
廃校になった学校の前に立つと、初任の田口小学校狭岩分校を思い出す。3年後に閉校となってしまった小さな分校だった。現在でも校舎は残され、当時使っていた黒板には「○○本校へ職員会議」などと書かれている。ここにも、子どもたちの沢山の思い出や足跡が残されているだろう。重ね合わせて賑やかだった頃を想った。
北の海は吸いこまれる青を湛えている バイケイソウの彼方に
散策道には花々が咲き誇っている
ハクサンチドリ エゾチドリ マイズルソウ オオミミナグサ
キジムシロ フウロ オオハナウド ミヤマハタザオ
イワベンケイ オオカサモチ レブンキンレイカ ミヤマオダマキ
海を眺めながら丘陵を歩く 海の底まで見える透明度
ミヤマリンドウ マイズルソウ
ゴロタ岬から振り返るとスコトン岬が
そして 利尻富士
ここから約1時間半歩いてレブンアツモリソウ群生地へ。澄海岬(すかい岬)は今後のお楽しみ
礼文島 花散策①ガス缶 [山行2013]
テントで3泊を過ごす。ガスが無かったら食事もできない。
大きな問題だ
ガス缶は機内に持ち込めない。稚内空港では売っていない。
礼文島キャンプ場にも無い。
フェリー乗り場近くのスポーツ店が頼みの綱。
調べると駅のすぐ近くに2軒あった。株式会社ハセガワとスポーツマート。
ハセガワに聞くと現在取り寄せ中で無いとのこと。
最後にスポーツマート・・・・ありました!やっと見つけた。
空港からバスで行き、駅前の店によってタクシーを飛ばせば
何とかフェリーに乗ることが出来そうだ。
とうころが、当日、空港でバスに乗ろうとすると運転手さん曰く
「フェリーに乗る人は、これで行ったら間に合わないから、タクシーで行ってください。」
え~お金かかるじゃん。と見ると一人タクシーに乗る人がいた。
便乗させていただく。歳の頃は70位の紳士。
話によると九州の大きな菓子店を経営しているとか。
長野の東急デパートにも出店していると言う。
娘さんが山形におられるので、ここを廻ってそちらへ行かれるとのこと。
名刺を戴いたが、字が読めない。
「中国の偉いお坊さんが付けてくれた名前で・・・とよむとのこと。
すみません。名刺を失くしてしまいました。
降りる時、半分支払いますと言うと、「いらない。いらない。」・・・と乗せてもらってしまった。
お礼が出来ない!すみません。ありがとうございました。ここでお礼を。
あわてて、スポーツマートを探し、ガス缶をやっと手に入れ、またもタクシーに5分乗って
フェリーに間に合った。
ところが・・・フェリーに乗ろうとすると、そこでも「危険物の持ち込みは何たらかんたら・・」
車も乗せるのに?持物検査なしだからスルー出来るのではと思ってそのまま乗船。
大丈夫でした。一安心。
ガス缶が必要な人は苦労します。
稚内空港様ガス缶売り場をぜひ設けてください。
裾合平の広大なお花畑 [山行2013]
中岳温泉でゆっくり足湯に浸かる
裾合平では
どこまでも続くお花畑
雪渓を挟むこと3回ほど・・・その度にお花畑が姿を現した
カメラでどのように撮ったらこれを表現できるのか
電池が終わりそうだったので最小限に抑えての記録だった
このように広大なお花畑に遭遇したのは初めて
北アルプスとは規模が違う
花に酔い痴れ 花に埋もれた
雲の平 [山行2013]
大雪のお花畑
Ⅰ 雲の平
登山道脇にエゾコザクラ
御鉢平展望台からの眺め
中岳山頂
北アルプスの雲の平とは趣を変えている 北海沢を控え、中岳までの稜線を分けた
両方の沢に多くの花の群生地を携えている ゆったりと広大な自然が広がりを魅せる
チングルマとエゾコザクラの美しい時だった
白雲岳避難小屋~黒岳石室 [山行2013]
大雪の山なみを堪能
小泉分岐より
赤岳を経て銀泉台への登山道
昨日歩いた稜線
一番奥から旭岳 間宮岳 松田岳
北海平に戻ってきた
遠望が利き見事な景色に
~ 大雪山の展望 ~
北海岳より
ずんぐりしているので名もない山かと思うが
北海道第2の高峰 「北鎮岳」 2244M
白鳥と千鳥の雪形が残っていた
北海岳分岐から北海沢へ
残雪・・・雪解け水・・・・エゾコザクラ
小さな流れに寄り添うように淡いピンクを染めつけている
ハクサンシャクナゲ(エゾシャクナゲ)
北海沢を渡る
色違いのチングルマ
バイケイソウ 円形に芽が出ているのも面白いが緑の花が咲いているのには驚いた
黒岳石室で一休み
エゾシロチョウ ヒオドシチョウ
白雲岳避難小屋 [山行2013]
白雲岳避難小屋
山小屋の朝
トムラウシを望む
気持ちの良い朝だ
雄大な大雪に赤い小屋
小屋周辺には多くの花が株を大きくしていた
キバナシオガマ エゾタカネツメクサ
クモイリンドウ(エゾトウヤクリンドウ) チシマギキョウ
チシマキンレイカ
~~~何度でも行きたい小屋になっている~~~
北海岳の雪田~白雲岳避難小屋 [山行2013]
旭岳~北海岳~白雲岳避難小屋
今年は残雪が多く山が生き生きしている。大雪のゆったり流れる山様に惹かれる。
? ウスユキトウヒレン エゾウサギギク
中岳分岐に到着11:50 御鉢平
ここから雨にあったが、小雨程度でしばらくしたらやんでほっとする
松田岳の稜線上の花 チシマツガザクラ
苔かと間違えるほど低木。波打つ礫地に模様を描く
クモマユキノシタ
北海岳で一休み。雨も上がった。いよいよ北海平へ・・・
烏帽子岳が印象的に聳える 右は赤岳方面
ミヤマリンドウ ヨツバシオガマ
そして 延々と続くお花畑
・・・・雪田は花園と化し・・・・遂に夢を実現・・・
ニシキツガザクラ エゾツガザクラ アオノツガザクラ チングルマ
その向こうに白雲岳なのだが・・岩屑の山・・未だに登ったことが無い
エゾヒメクワガタ
白雲岳裾野の日本庭園
? 白雲岳分岐から避難小屋へと下る
イワウメ ミネズオウ イワウメ一輪
エゾノハクサンイチゲ
雲間に避難小屋を望む 2:50
シナノキンバイの群生・・・・長野の住人としては親しみが湧く
水汲み場に学生らしき数人が浄化装置を駆使しながら水を汲んでいた。
聞いたら阪大の医学部とのこと。実験でもしてるのかと…随分時間がかかりそう。
テントは3~4グループのようだった。さっきの雨でテントに浸水したらしい。
到着3;30 予定通り
ミヤマアズマギクが迎えてくれた
小屋の前に鎮座している主のような花
随分株が大きくなった。それに今年は毛が少なく元気!
また会えたね~
大雪縦走 旭岳~白雲岳 [山行2013]
旭岳~白雲岳 7月30日
4:30目覚めると雨が降っている。がっくりしながらも、携帯で天気を確かめる。
昼ごろから雨マーク。まただめかと、とろとろと準備を始める・・・6:00部屋を出て談話室の窓から見ると、何と旭岳方面に青空がちらっと覗いている。「よっしゃ~!行く!」と決めた。
1時間遅れの出発。ロッカーに荷物を預けロープウエイで登る。山頂は望めないが、霧の上がり具合は晴れに向かっているようだ。噴出孔8:05
忠別岳・五色岳・化雲岳・・・8:25
金庫岩・・・たんまり入って重そ~~~ 9:30
頂上!2290M 9:40
ここからひたすら花街道へと進む
メアカンキンバイ チシマクモマグサ
イワヒゲ 釣鐘状の花冠が先で5裂
コマクサ エゾツガザクラ
2013年の旭岳 雪渓はこんな感じ
今の花は・・・チングルマ・イワヒゲ・メアカンキンバイ・咲き終わったキバナシャクナゲ
そして・・・・・・・ エゾツガザクラ
チングルマ蕾 開花 ジムカデ
アオノツガザクラ キバナシャクナゲ
旭岳を下ったそこは、何時行っても次々と花が姿を見せる。ある時はアオノツガザクラ、ある時はミヤマキキョウの群落が迎えてくれた。今日は赤を敷きつめた絨毯、エゾツガザクラだった。
大雪山 [山行2013]
表大雪縦走 旭岳・白雲岳・黒岳・裾合平 2013年7月30日8月1日
旭岳周辺に行くのは、数えてみたら7回目なのだが、黒岳から雲の平から中岳を通って裾合平のコースは初めて。今回は、初めてOさんと行くことになった。昨年、烏帽子岳から船窪岳まで縦走をした。
7月29日(月)本当は今日登り始めるはずだったのだが、朝5:00雨が降っていた。予報も降ったりやんだり良くない。不安定な天候。8:00にも雨だったので中止とする。仕方が無いので、ロープウエイで姿見まで出かけることにした。
ロープウエイで登る人は結構多いが、軽装で山に行きそうな人は見当たらなかった。周遊コースをゆっくり廻った。
旭岳はガスがまき、下部の水蒸気を噴出している部分のみ見える。
エゾコザクラ
アカノツガザクラ
チングルマ
エゾコザクラの群生も見える
下界が晴れてきているのを見ると登ればよかったかと気持ちがゆらぐ。
満月池
雪と水と緑が調和する 擂鉢池
姿見の池
イワブクロ
この後、ビジターセンターに行き、山の立体地形図を見ながらコースなどについて話を聞く。一泊二日でこなせるコースだということが分かり、安心。明日こそ登りたいと心に決める。
霧訪山(きりとうやま) [山行2012]
秋
2012-9-25
日曜日が雨だったので、火曜日の今日簡単な山に代えて実施。
霧訪山というゆかしい名前がつけられている 由来を調べたが、納得できるものは無かった
塩尻市両小野地区という今まであまり行ったことのない地域にある
中学校横の細い道路を曲がって登山口に着いた
山間の静かな集落 小野
お彼岸を過ぎすっかり涼しくなった 爽やかな風にコスモスが揺れる
のんびりコーヒーを一杯飲んでから出発
登山道は広く、山は松茸の止め山になっているので整備をされた松林が続き、歩きやすい
木にこのような名札が付けられていた
・・・読めない!知らない!(*^_^*)感心し 楽しませていただきながら登る・・・
冬靑は常緑樹で庭木で見かける
令法はサルスベリとそっくりだが、葉も花も・・よく見ると木肌も違っているようだ
極め付きは「牛殺し バラ科」 「こばのとねりこ」・・・かと思うと馴染みある「橅」も
里山が人々に利用されていた頃、このような木々の名は自然に伝えられていただろう
リスが斜面を振り返りつつ逃げて行く
と・・・下には栗の毬が沢山落ちている・・・
つやつやと輝いている栗を拾ってお土産に
小一時間で山頂
山頂からは360度の展望
『一望千里』と言われている
現在地の認識に欠ける私たちは
方位盤を頼りに南アルプス・中央アルプス・八ヶ岳連峰・蓼科霧ヶ峰・北アルプスを同定
南側の急斜面と言われている尾根を下山
覚えたての冬靑の実・子どもの頃食べたことがあるガマズミの実
などを見ながらゆっくりおりた
ツリフネソウは久しぶり
駐車場わきに咲くノコンギクの群落に蝶や蜂が飛び交う
コスモスは秋の空に向かって優しい色を染めつける
・・・・季節の移ろいをそのまま映す自然の繊細さに惹かれる・・・・・
岩苔乗越から雲の平登山道で [山行2012]
北アルプス縦走 Ⅱ
<3日目>三俣山荘~岩苔乗越~祖父岳~雲の平
黒部源流を通り鷲羽岳はキャンセル
「黒部川源流碑」
流されないためなのか源流よりやや高い場所に置かれている。流れを見ることが叶わない碑になってしまっている。源流の趣が欲しい。
岩苔乗越まで、祖父岳の岩と緑に囲まれ
花々が咲き、水音が心地よく響く沢を登る
黒百合の群生に出会う
石川県「郷土の花」
アイヌ族では恋しい人のそばにそっと置き、その人が手に取ってくれると恋が実ると言う
岩苔を通ったがために黒百合を愛でることが出来た・・・し あ わ せ
祖父岳に着くころはすっかりガスに巻かれ雷鳴もしてきた
小石を敷きつめた平坦な山頂。ケルンを頼りに下山を急ぐ 足元に初々しいハクサンイチゲ
雲の平に着いたが・・・・ここを真っすぐ行けば近いのに環境保全のため通行止め
稜線を大きく迂回する。途中で大休憩を入れて1時間30分をかけた・・・疲れた
ようやく雲の平山荘
黒部五朗小舎から三俣山荘の登山道で [山行2012]
北アルプス縦走 Ⅱ
<3日目>黒部五郎小舎~三俣山荘登山道で
~岩苔乗越~雲の平16:30
黒部五郎小舎周辺の池塘と草原
黒部五郎岳の全景が広がる
薬師岳は威厳を放つ
数日前、山頂に立っていた船窪岳。こんなに大きいのか
『八重キンポウゲ』
三俣蓮華岳への分岐を過ぎ雪渓を渡った辺りの登山道に何年か前来た時見つけた。その時は人に踏まれ、すぐにも無くなってしまうのではないかと思われた。はたしてあるのか。期待しながら見落とさないよう注意しながら歩を進めると・・・・ありました!
そう、ここです。石の間からこんこんとわき出す清水が幾つかあるここでした。
”再会”・・よく見ると脇に大きな石を添え踏まれない策を講じてくれてあります・・・・ありがとう
大きな株になったねえ
力強く逞しく生き抜いている姿に感動・・・この道を通ってよかった・・・・
嬉しさに浸り三俣山荘へと向かう
黒部五郎岳 [山行2012]
北アルプス縦走 Ⅱ
<2日目> 黒部五郎岳
黒部五郎岳に到着
人に近寄り雪の上で戯れるイワスズメ 岩屑が積み重なった山頂
一瞬の隙間から、緑豊かなカールが姿を現した
両脇を高い二本の稜線に囲まれた別天地
沢音の響き渡る岩屑の斜面を下る
頂上直下の岸壁
雪渓から流れ出すわずかなせせらぎがカールいっぱいにこだましていた
雪解け水・・・手を入れすくって飲んだ
大自然の懐深くに佇む
シナノキンバイ オオバユキザサ ヒョウタンボク
池塘と草原に囲まれた黒部五郎小舎到着17:00
北アルプス縦走 Ⅱ [山行2012]
北アルプス縦走 Ⅱ 2012-8-4・5・6・7・8 メンバー N・O・T
<1日目>富山駅10:30~折立12:30~三角点~五項岩ベンチ~太郎平小屋17:30
<2日目>太郎平小屋6:30~北ノ俣岳~黒部五郎岳~黒部五郎小舎16:30
午後出発の山行は例外。京都からのサンダーバードに合わせての日程となった。都会に住む人にはよくあることだと思うが。この登山道は心配が無い。ゆっくりでも歩いて行けば小屋に到着できる。のんびり山行の始まりとなった。
五光岩ベンチ ニッコウキスゲ 後ろのやまなみをぐるっと一周して来ます
快晴! 太郎山とチングルマ
ひな5羽を連れた雷鳥のつがいに行き会う
ひなは草の間を走っては実をついばむ。雌親は首を伸ばしてひなの姿を確認
ひなは登山道まで出てきて親をハラハラさせているかのようです
雷鳥親子の微笑ましい朝食の時間でした
青空のもと見渡す限りのお花畑に囲まれた (北ノ俣岳手前)
笠岳がすっくと立つ
左に目を転ずると黒部五郎岳(手前)と槍が岳
右斜面も空を突くお花畑
神岡新道分岐を過ぎ北ノ俣岳へ
だんだん雲が多くなってきた
薬師岳と槍がまだ展望できた
中ノ俣乗越を過ぎ、黒部五郎への登りで行き会った花々
ミヤマリンドウ
トウヤクリンドウ ガスに巻かれ露に濡れるゴゼンタチバナ
早朝の山を存分に味わった後は黒部五郎の登りを楽しむ
鼻突き八丁 七倉尾根 [山行2012]
北アルプス縦走 Ⅰ
<3日目> 船窪小屋6:30~鼻突き八丁 七倉尾根~七倉山荘前
~~朝焼けの山々~~
槍が岳
不動岳
富士山
朝の槍
小屋ンのメンバー お姉さんは今朝コマクサを見に出かけた「お世話になりました。」
小屋からしばらくは眺めの良いお花畑の稜線を歩く
チングルマの向こうに富士山と八ヶ岳が・・・
北アルプスに君臨する槍が岳
鼻突き八丁は中々な手応えあり。出来れば登りたくないが・・・登っても見たい
下の樹林帯で一休み11:00には下山
山歩きの醍醐味とやまなみの素晴らしさに身を浸らせた3日間に感謝
不動岳・船窪岳 [山行2012]
北アルプス縦走 Ⅰ
<2日目>烏帽子小屋6:00~烏帽子岳6:30~不動岳・船窪岳~船窪小屋15:30
先ず烏帽子岳を目指す
ちょっとしたクライミングでウォームアップ
烏帽子田圃(四十八池)を行く・・・雪・池塘・草原の稜線・・・
剱岳が覗いている
サンカヨウ
至福のひととき
砂礫の稜線へ 厳しさに耐え小さいながらも花を付けるコマクサ
これから向かうのはどこ?と思われたが、難なく通り過ぎてしまった。
激しいアップダウンの連続が始まる・・・コルでは花に癒された
イブキジャコウソウ ミヤマクワガタソウ キヌガサソウ
不動岳。ここから悪路が始まる
下りは容赦なく下り、目の前に大きな山の塊が出てきてがんがん登る・・これを何回か繰り返す
視界のない船窪岳第二ピークを過ぎ、またも下る下る。不動沢側の斜面は砂礫、黒部側は樹林帯と所々崩れた場所、稜線は崩れ放題という登山道(よく手を入れ修復してくれてある)を確実に進む。密かに花をつけ待っていてくれる花々にほっとしながら。
シナノナデシコ
日本の固有種・中部地方に分布。可愛い子どもを撫でる意味から「撫でし子」
カノコソウ
上から見るとポツポツとした蕾が鹿の子に見えることから名がついた。別名「ハルオミナエシ
葉はオミナエシと同じ深い切り込みがある。
船窪岳山頂
1700Mを削り落し今なお崩落し続けている不動沢真上にある
この山頂は今にも崩れ落ちて無くなりそう。ロープでつなぎとめている
続いて「針の木古道」分岐 ヤグルマソウ
ざれた30mほどの急坂をロープとワイヤー二本を握りながら懸垂下降2か所
・・・やっとテン場到着・・・
すぐ小屋かと思いきやここからさらに梯子を登り稜線まで結構歩いた
小屋に近づくと
カラ~ン♪カラ~ン♪鐘の音の下でお姉さんが両手を振って迎えてくれている
先に到着した方々も拍手で迎えてくれた
そう、今日の歩きを経験すれば誰もが到着時拍手をいただく重みがある
目の前に立ちふさがる高い山を次々と征服してきた充足感に満ちて小屋に到着した
夕ご飯は船窪小屋名物おかみさん手作りの懐石料理のフルコース!
メニューは
五穀米、麩の味噌汁、煮しめ、酢の物、冷や奴(蕗味噌)
生春秋、天麩羅(あざみなど)デザートは山の実入りゼリー
よく分からないほど手が込んでいる。
~~~夕焼けに染まるアルプスの山々~~~
今日歩いてきた不動岳
剣岳・源次郎尾根
五色ヶ原~薬師岳
夜はネパールティーをいただきながら小屋のご主人からのビデオとお話
「針の木古道復活物語」
おかみさんとは黒部ダムの技師をしていた頃知り合い
「針の木古道」を通い詰めた熱い恋で結ばれたと言う
さらに、ネパールのシェルパが「レッサンフィリリ♪」を歌う
合わせてつい踊ってしまった
心温まる夜が更けて行った
北アルプス縦走 Ⅰ [山行2012]
北アルプス縦走 Ⅰ 不動岳・船窪岳 2012-7-29~31 メンバー H&O
「ここを歩いたら北アルプスが全部繋がるから一緒に行って。」とOさんからの誘い。静かな山稜歩きをたっぷり楽しめる・・・二つ返事ででかけた。
<1日目>高瀬ダム7:30~ブナ立尾根~烏帽子岳小屋13:00
登山指導所にはWさんが座っていた。先週の3連休に一人転落死している。また、去年の地震で崩れが激しく危ない所が多くなっていると警告され出発。
高瀬ダムまで上がると下界の暑さは無く爽やかな風が吹き抜けていた。ダムの脇を歩き、水場で一休み後登りに入る。 この尾根には12から1までの看板が稜線まで規則正しく付けられている。標高差やく100mごとにあるようだ。これが登るときの目安となって結構役立つ。急登で知られる尾根だが、今日は薄曇りで風がある。ブナやシラビソなどの深い原生林を楽しみ、樹間に見える削り取られた真っ白な山肌を眺め、ゆっくりだが確実に高度を稼いだ。
船窪岳 見事なダケカンバ
ヤマアジサイ ツバメオモト センジュガンビ ハクサンオミナエシ
キバナノコマノツメ アオノツガザクラ
小屋前にはイワギキョウが群生・・というより植えたのだろう
クルマユリ
オトギリソウ
チングルマ ミヤマヤハズハハコグサ
野口五郎岳への稜線