MEXICO [海外旅行]

      2015年2月21日~28日   MEXICO  

 2月28日 「アステカ文明とマヤ文明」

<プロローグ>

 成田発15:30なので 朝もゆっくり9:54佐久平発の新幹線で義姉と合流して成田に向かう。上野で京成に乗り換え一時間をかけて成田第一ターミナル4階集合場所に到着。すでに義理の兄、姉、妹は来ていた。総勢5人の海外旅行。旅費は全て〇〇ちゃん持ち。兄妹でそろって海外旅行が出来るなどめったに無い事。凄いよ。これで兄妹海外は3回目なんだから。

 スペイン語圏は初めて。一昨年一年間ラジオで友達を講師にやってみたけれど、動詞が一人称・二人称で変化するのには着いて行けず何も残っていないままだ。少しでもスペイン語に触れたらやる気の出ることを期待しての旅行でもある。 夢はアンデス・ペルーの山々・・・・

 成田発は15:30。直行便とは言っても15時間かかる。途中で日付変更線を通過。同日の13:30ごろ到着。出発時間よりも2時間前に到着してしまうと言う、何とも嬉しい?長い一日を過ごす事が出来そうだ。

 MEXICO到着[るんるん] 情熱の国・ジャングル奥にマヤ文明のロマンを秘める地MEXICO

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[蟹座]さっそく国立人類学博物館へ[蟹座]

 <アステカ室>

 アステカ帝国は1325年から1521年まで現在のメキシコシティーにアステカ人が築いた都市国家。テノチティトランの人口は数十万人。世界最大級の都市であった。ジャガーの戦士・鷲の戦士を中核とした軍国主義。

 [1]ジャガーの石像(夜の支配者)

 入口にあるジャガーの石像:これは「クアウシリカ」と呼ばれ、生贄の心臓を入れるために使われた。背中に穴があいている。アステカの人々は毎日太陽が昇ってくるためには生贄の心臓が必要と信じ、毎日2個の心臓を神に捧げた。・・・何とも最初からこんな血なまぐさい話になろうとは・・・しかしこれはマヤでも行われおり、信心の根底にあるものである。

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[2]太陽の神である鷲                 [3]現在のメキシコはステココ湖と言う湖だった

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 アステカ族は13世紀にメキシコ盆地にに到着。ステココ湖周囲はすでに多くの先住民がいたので、この小島で定着し国を建てた。1325年。その後灌漑をを進め農地を広げ勢力を拡大。スペイン人が到来した16世紀には大帝国を擁立していた。スペイン人はここにあった神殿を破壊し埋め立て都市を築いた。今のメキシコシティーである。国立人類博物館アステカ室の展示品はメキシコシティー地下から発見された物。

[4]太陽の石・アステックカレンダー

これを読み説いたミゲル・ネリの文は他ページで

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 アステカ・カレンダーである。直径9Mの大きな物。中央は擬人化された太陽。太陽の周りにある4つの絵文字はすでに滅んでいる4つの太陽。第1の時代はジャガーによって、第2の時代は大風によって、第3の時代は火の雨によって、第4の時代は洪水によって滅んだとしている。絵文字はジャガー、風、火の雨、水を表している。

 2番目の輪はナワトル語の20日の暦名。3番目の輪は装飾模様。4番目の輪はトルコ石翡翠のシンボル、春分・夏至・秋分・冬至のシンボル。

 一番外側は、2匹の火のヘビ。ヘビは下で向かい合い、大きな口を開けている。

 アステカによると今の時代は第5の時代。第5の時代は大地震でほろぶことになっているとのこと。

[5]コアトリクエ「ヘビの婦人」アステカの大地母神

         表                                 裏

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  頭の部分は2匹のヘビが向かい合うような形で、口からはヘビの牙と先が二つに分かれてヘビの舌が出ている。この2匹のヘビは、斬首された頭の代わりにいかれたもので、首から両肩にかけて流れ出す血がヘビの頭の形で表され、腕を形作っている。切り取られた人間の手と心臓と頭蓋骨が女神のペンダント。スカートは曲がりくねった無数のヘビ。何とも耐えがたい姿だ。

 首から流れ出すヘビは豊穣祈願を、手・心臓・頭蓋骨でできたペンダントは太陽を養うための血と生贄が必要な事を表し、この像は人の誕生と死を象徴しているという。

[6]アステカの神々

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 左は<ショチビリ>「花の王子で青春・愛・踊り・詩・劇」などを司どる神。体には花の模様を付け、花と蝶で飾られた玉座に座っている。右はシワテテオ。将来戦士となる男子を出産する際に命を落とした女性はみな<シワテテオ>という神になるとされていた。戦場で死んだ戦士の魂を運ぶ役割をしたと言われ、蓋骨と鉤爪を持っている

<死の神の司祭の姿>             <その他の神々だろうが・・・>

死は俗世の苦役からの解放の地とか

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[7]その他の石像など

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 上の円形の台の様な石は、捕虜を載せたとされる。   これも、心臓を捧げるための像

 周りには戦士が戦っている様子が掘られている。

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心臓をえぐって、手で持っているのか。

アステカ人の殺伐とした生き方考え方などとうてい理解することは出来ない。

 宇宙観・暦の正確さなどには感心する。これだけの科学的な物を生み出しているのにそこへ神話を重ねている。現在のメキシコの国章はアステカ伝説に由来する。アステカ人が首都を決めるために「サボテンの上にヘビを食らう鷲がいる土地」を探して200年彷徨った伝説をとりいれている。

<マヤ室>

 マヤ文明は紀元前4000年~1524年の間メキシコ南東部マヤ地域を中心として避けた文明である。先古典期前期(紀元前3000年 - 紀元前900年)先古典期中期(紀元前900年 - 紀元前400年)先古典期後期(紀元前400年 - A.D.250年)古典期前期(A.D.250年 - 600年)古典期後期(A.D.600年 - 900年)後古典期(A.D.900年 - 1524年)

[1]7世紀バレンケ王朝最盛期の遺跡パレンケより出土

  バカル王の翡翠の仮面              復元された王の墓室 パレンケの石棺

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 バレンケ遺跡から出土  ユカタン半島の付け根にある。中々行けない場所らしい。

palenque_yoko1.jpg 6_25.jpgバカル王と言われている

石棺の蓋は死者が夕日と共に地下世界に下り、そこで新たに生まれ変わるという考えによる。一方、ロケットを操縦している「古代宇宙飛行士説」もある。 

下はバカル王がこれでチョコレートを飲んでいたとされるコップ  どの時代どこかは分からないが

                                         美しいレリーフ

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 マヤの人々

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マヤの貴族

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奴隷や捕虜か?

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翡翠の飾りが目立つ

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後古典期(A.D.900年 - 1524年)遺跡チチェンイッアーにあったチャクモール(生贄の心臓を捧げる)後期古典にはアステカの影響が見られ下のような石像が見られる。

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 国立人類学博物館入口の壁画 フィーノ・タマヨ作「昼と夜」

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 アステカは悲壮感が漂い、戦士などの像もあった。人間の歴史は奪い合い、侵略、殺し合いを刻んできたようだ。マヤの方は人間味が出ているように感じた。


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