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マヤ遺跡 ウシュマル遺跡 [海外旅行]

ウシュマル遺跡 ユカタン半島北部 メリダから約70㎞。

500年~1200年までシウ家が支配。チチェン・イッツァと同盟を結んで、ユカタン半島北部を支配した。その後チチェン・イッツァ衰退とともにマヤパンへ権力が移行。シウ家はマニへ首都を移す。1550年代まで人が住む重要な場所だったが、スペイン征服後シウ家はスペイン同盟者となる。その後この地は放棄された。マヤ遺跡の中で数少ない保存状態のよい遺跡である。

美しい神殿 「魔法使いのピラミッド」 

卵から生まれた小人が一夜にして建てたと言うマヤ伝説がある。

側面の曲線と上にある建造物が魅力的。IMG_3669縮.JPG

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拡大すると、やはりチャークが描かれている。階段の横にもずっとチャークが付けられている。  

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尼僧院(支配者の宮殿)入口・・・独特な三角のアーチ。正面は魔法使いのピラミッドIMG_3691縮.JPG

尼僧院の横壁を見ながらもう一つのアーチをくぐった。

方形の広場を囲んで東西南北にデザインの違った長い建物がある。正面の建物が「総督の館」?長さ100mに及ぶ大きな建物である。

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壁面の切り石モザイクを拡大するとチャーク(雨神)と幾何学的な模様で校正されている。これに白と赤の彩色がほどこされていたら、見事だったろうと想像する。

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東側の建物 シンプルだが美しい。  拡大すると両方に頭のあるヘビが8匹並べられている。

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 西側にあるククルカン(ヘビ)のモザイク

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「球戯場」 ここでは、ボールをけるなどして中央にあるリングに入れた方が勝ちという試合をした。勝敗により、どちらかのチームが生贄になった。

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グランピラミッドと言われている北面のみ修復されているピラミッド。周囲は瓦礫の山。上からは遺跡が見渡せる。すぐ隣には壁だけがジャングルの中で白く峰を突出す鳩の家。

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またもや総督の館が出て来るのですが・・・・良く分かりません。チャークと幾何学模様が整然と施されています。その時代では世界最大級の建物だそう。全景なし。

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  魔法のピラミッド、尼僧院をバックに

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マヤ遺跡 ティオティワカン遺跡 [海外旅行]

 テォティワカン遺跡 メキシコソティーから30㎞余 

紀元前2世紀~6世紀まで反映した巨大な宗教都市遺跡。7世紀末には衰退し廃墟になったこの都をアステカ族が見つけ「神々の座所」「ティオティワカン」と名付けた。

「ジャガーの神殿」神官などが住んだ場所。区切られた部屋の様な場所や、水洗トイレであろうと言う所場所もある。 壁画なども残されている。

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壁画:羽毛の頭飾りをかぶった天空のピューマが星のシンボルの前で羽飾りのあるホラ貝を吹いている。

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鳥(ケツァル)も鮮やかに残っている。

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太陽の神殿   パイを使った公式に見事合致した建築設計になっているそうだ。ここは、正面から上まで登ることが出来た。この地下には七つの洞窟がが枝状につながる洞窟がある。これは人類の起源の地という伝説に由来する洞窟である。

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太陽の神殿から真直ぐに伸びる広い通りは「死者の大通り」と言い、南北に5㎞延びている。この道路を中心として10万~20万の人が住んでいたとされる説、ここは道路でなく水を溜めたプールだったという説などある。このプールを使って地震観測をしたのではと考えることもできると言う。

「月の神殿」   ピラミッドの4隅には小さな人骨が埋められていた。雨乞いのために子どもを生贄にしたと言う。

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マヤ遺跡 カバー遺跡・マヤパン遺跡 [海外旅行]

Ⅰ 「 カバー遺跡 」  メキシコより遥か南メリダから約70㎞

熱帯雨林のマヤ低地北部にあり、750年頃から発展して1000年頃衰退。雨神(チャーク)だらけの仮面の宮殿がメイン。

正面が宮殿

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コッツ・ポープ「仮面の宮殿」

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仮面の宮殿を拡大すると              壁面には雨神チャークが一面描かれている                                                                   

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                           転がっている石には、様々な顔が彫られている。

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支配者の像・・・王らしき人の手のひらを見ると指が6本有ったのではないかとみられる。近親結婚も多くあった証ではないかとされている。

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漆喰で復元された壁 

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Ⅱ 「 マヤパン遺跡 」 マヤパンとはマヤの旗を意味する。チチェン・イッツァの支配に反乱を起こした有力な貴族たちの連合体。チチェン・イッツァ衰退後1220年~1440年の200年間。人口は約15000人。

マヤパン遺跡の羽毛のあるヘビ(ククルカン)の神殿(カスティージョ)と同じ  右側からこの上に登ることが出来る。急な石の階段である。

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上からの展望・・・ジャングルに囲まれた中に建つ遺跡。

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これらは漆喰で上塗りをし、そこに壁画やレリーフなどが描かれていたと言う。しかし、何が描かれているのか分からない物が多い。銅像などは全て取り除かれメキシコ民族博物館に置かれているらしい。

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途中で、何やら動く物がいた。イグアナ!大きいもので体長70㎝くらいはあった。孫が大喜びするに違いない。

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メキシコ国立自治大学 [海外旅行]

壮大な思想・歴史を描く壁画

大学構内になど入って観光出来るのかと思っていたら、広大な敷地に郵便局、銀行、バスの運行など一都市を抱え込んでいる地だとのこと。

大学の競技場を外から見た。大きなスタジアムで、入り口にはリベラ作の立体壁画があった。

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ラテンアメリカを象徴するコンドルとメキシコを象徴するワシを描き、黒人の男女が子どもを守るような姿が中心に描かれている。スペインからの搾取と差別の歴史を経て、自由を手にした独立。そして1968年のメキシコオリンピックを開催したスタジアムである。あらゆる人の尊厳と自由希望を表現したのではないだろうか。この壁画をを見ると優しさと包容力、前に向かっていく明るい未来を見ることが出来そうだ。大学がこんな素晴らしいスタジアムを持っているなど、日本では考えられない。素晴らしい理念を持った教育の場がここには有りそうだ。

図書館の外壁には4面全て壁画でおおわれていた。先ず南側「スペイン植民地時代の圧政」

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北側は「アステカ文明」

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西は学生たちの現代メキシコに置ける役割

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東は「太陽と月宇宙、科学、政治」を表していると言う。(画像が無くて残念)

本館にはシケロイス作「民衆から大学へ、大学から民衆へ」の立体壁画がある。腕を真直ぐに伸ばす4人の群像は学問、言論の自由を表現か?

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さらにこの北にはペンを持つ手の腕が武装している。ペンと武装?共感しかねる。が、現実なのかもしれない。IMG_3534縮.JPG

このようなキャンパスで勉強している学生の話を聞きたくなった。


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MEXICOの山 [海外旅行]

 イスタシワトル山 5286m (プエブラへのドライブインにて)

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 ポポカテペトル山5426mの隣にあり、イスタシワトルを横たわっているお姫様、ポポカシテペトルを姫の横に凛として立つ戦士とし、伝説が語り伝えられているとのこと。

 イスタシワトル山は登ることが出来るが、ポポカテペトルは活動中の火山で登山禁止とか。メキシコシティーが標高2240mあり、メキシコシティの近くには4100mまで車で行き4690mのネバード・デ・トルーカ山に日帰りで登り、高度順応出来る山がある。途中に月と太陽と呼ばれているカルデラ湖がある。・・・5000M級に登るにはうってつけのようですね~

 「イスタシワトル」を候補に挙げておこうか?

イスタシワトル山とポポカテワトル山   (反対側から) 写真拝借ペリカントラベル

ポポカテワトルの噴煙がずっとたなびいていますね。

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MEXICO [海外旅行]

      2015年2月21日~28日   MEXICO  

 2月28日 「アステカ文明とマヤ文明」

<プロローグ>

 成田発15:30なので 朝もゆっくり9:54佐久平発の新幹線で義姉と合流して成田に向かう。上野で京成に乗り換え一時間をかけて成田第一ターミナル4階集合場所に到着。すでに義理の兄、姉、妹は来ていた。総勢5人の海外旅行。旅費は全て〇〇ちゃん持ち。兄妹でそろって海外旅行が出来るなどめったに無い事。凄いよ。これで兄妹海外は3回目なんだから。

 スペイン語圏は初めて。一昨年一年間ラジオで友達を講師にやってみたけれど、動詞が一人称・二人称で変化するのには着いて行けず何も残っていないままだ。少しでもスペイン語に触れたらやる気の出ることを期待しての旅行でもある。 夢はアンデス・ペルーの山々・・・・

 成田発は15:30。直行便とは言っても15時間かかる。途中で日付変更線を通過。同日の13:30ごろ到着。出発時間よりも2時間前に到着してしまうと言う、何とも嬉しい?長い一日を過ごす事が出来そうだ。

 MEXICO到着[るんるん] 情熱の国・ジャングル奥にマヤ文明のロマンを秘める地MEXICO

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[蟹座]さっそく国立人類学博物館へ[蟹座]

 <アステカ室>

 アステカ帝国は1325年から1521年まで現在のメキシコシティーにアステカ人が築いた都市国家。テノチティトランの人口は数十万人。世界最大級の都市であった。ジャガーの戦士・鷲の戦士を中核とした軍国主義。

 [1]ジャガーの石像(夜の支配者)

 入口にあるジャガーの石像:これは「クアウシリカ」と呼ばれ、生贄の心臓を入れるために使われた。背中に穴があいている。アステカの人々は毎日太陽が昇ってくるためには生贄の心臓が必要と信じ、毎日2個の心臓を神に捧げた。・・・何とも最初からこんな血なまぐさい話になろうとは・・・しかしこれはマヤでも行われおり、信心の根底にあるものである。

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[2]太陽の神である鷲                 [3]現在のメキシコはステココ湖と言う湖だった

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 アステカ族は13世紀にメキシコ盆地にに到着。ステココ湖周囲はすでに多くの先住民がいたので、この小島で定着し国を建てた。1325年。その後灌漑をを進め農地を広げ勢力を拡大。スペイン人が到来した16世紀には大帝国を擁立していた。スペイン人はここにあった神殿を破壊し埋め立て都市を築いた。今のメキシコシティーである。国立人類博物館アステカ室の展示品はメキシコシティー地下から発見された物。

[4]太陽の石・アステックカレンダー

これを読み説いたミゲル・ネリの文は他ページで

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 アステカ・カレンダーである。直径9Mの大きな物。中央は擬人化された太陽。太陽の周りにある4つの絵文字はすでに滅んでいる4つの太陽。第1の時代はジャガーによって、第2の時代は大風によって、第3の時代は火の雨によって、第4の時代は洪水によって滅んだとしている。絵文字はジャガー、風、火の雨、水を表している。

 2番目の輪はナワトル語の20日の暦名。3番目の輪は装飾模様。4番目の輪はトルコ石翡翠のシンボル、春分・夏至・秋分・冬至のシンボル。

 一番外側は、2匹の火のヘビ。ヘビは下で向かい合い、大きな口を開けている。

 アステカによると今の時代は第5の時代。第5の時代は大地震でほろぶことになっているとのこと。

[5]コアトリクエ「ヘビの婦人」アステカの大地母神

         表                                 裏

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  頭の部分は2匹のヘビが向かい合うような形で、口からはヘビの牙と先が二つに分かれてヘビの舌が出ている。この2匹のヘビは、斬首された頭の代わりにいかれたもので、首から両肩にかけて流れ出す血がヘビの頭の形で表され、腕を形作っている。切り取られた人間の手と心臓と頭蓋骨が女神のペンダント。スカートは曲がりくねった無数のヘビ。何とも耐えがたい姿だ。

 首から流れ出すヘビは豊穣祈願を、手・心臓・頭蓋骨でできたペンダントは太陽を養うための血と生贄が必要な事を表し、この像は人の誕生と死を象徴しているという。

[6]アステカの神々

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 左は<ショチビリ>「花の王子で青春・愛・踊り・詩・劇」などを司どる神。体には花の模様を付け、花と蝶で飾られた玉座に座っている。右はシワテテオ。将来戦士となる男子を出産する際に命を落とした女性はみな<シワテテオ>という神になるとされていた。戦場で死んだ戦士の魂を運ぶ役割をしたと言われ、蓋骨と鉤爪を持っている

<死の神の司祭の姿>             <その他の神々だろうが・・・>

死は俗世の苦役からの解放の地とか

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[7]その他の石像など

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 上の円形の台の様な石は、捕虜を載せたとされる。   これも、心臓を捧げるための像

 周りには戦士が戦っている様子が掘られている。

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心臓をえぐって、手で持っているのか。

アステカ人の殺伐とした生き方考え方などとうてい理解することは出来ない。

 宇宙観・暦の正確さなどには感心する。これだけの科学的な物を生み出しているのにそこへ神話を重ねている。現在のメキシコの国章はアステカ伝説に由来する。アステカ人が首都を決めるために「サボテンの上にヘビを食らう鷲がいる土地」を探して200年彷徨った伝説をとりいれている。

<マヤ室>

 マヤ文明は紀元前4000年~1524年の間メキシコ南東部マヤ地域を中心として避けた文明である。先古典期前期(紀元前3000年 - 紀元前900年)先古典期中期(紀元前900年 - 紀元前400年)先古典期後期(紀元前400年 - A.D.250年)古典期前期(A.D.250年 - 600年)古典期後期(A.D.600年 - 900年)後古典期(A.D.900年 - 1524年)

[1]7世紀バレンケ王朝最盛期の遺跡パレンケより出土

  バカル王の翡翠の仮面              復元された王の墓室 パレンケの石棺

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 バレンケ遺跡から出土  ユカタン半島の付け根にある。中々行けない場所らしい。

palenque_yoko1.jpg 6_25.jpgバカル王と言われている

石棺の蓋は死者が夕日と共に地下世界に下り、そこで新たに生まれ変わるという考えによる。一方、ロケットを操縦している「古代宇宙飛行士説」もある。 

下はバカル王がこれでチョコレートを飲んでいたとされるコップ  どの時代どこかは分からないが

                                         美しいレリーフ

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 マヤの人々

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マヤの貴族

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奴隷や捕虜か?

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翡翠の飾りが目立つ

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後古典期(A.D.900年 - 1524年)遺跡チチェンイッアーにあったチャクモール(生贄の心臓を捧げる)後期古典にはアステカの影響が見られ下のような石像が見られる。

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 国立人類学博物館入口の壁画 フィーノ・タマヨ作「昼と夜」

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 アステカは悲壮感が漂い、戦士などの像もあった。人間の歴史は奪い合い、侵略、殺し合いを刻んできたようだ。マヤの方は人間味が出ているように感じた。


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