守屋山 [山行2012]
賑やかな山 守屋山 2012-7-6
50座登山で山幸グルッペで登った山。国道152・伊那高遠と茅野を結ぶ杖突峠付近から登る。今回は、ザゼンソウが群生する地点まで車で入った。登山口に藁屋根の小屋が。開山祭には、アルプホルンがここに響いたのかな・・・
登山道脇所々に密かに咲く花々
サワギク(ノボロギク) タガソデソウ(ナデシコ科)
キバナノヤマオダマキ(キンポウゲ科) 東峰岩場にイワキンバイ(バラ科)
鮮やかな青さと素朴な姿にひかれるアヤメ
「胸突坂」と名付けられた急登を僅か登ると東峰
石祠があった
この祠を突き落し、神の怒りをかって雨を降らせる雨乞いをしたということがあったという
現在は、鉄柵に囲まれている
祠の前には弓が供えられ
「守屋神社 奥宮 登山安全の 山の神」 と書かれた賽銭箱が置かれていた
・・・西峰を目指して行くと「元気になる木」が・・・
・・・西峰手前に「ラビット小屋」と名付けられた小さな小屋が建っている
中はきれいで今までに見たことのない可愛らしくも優しさあふれる部屋が作られていた
山頂は広い草原になっており、7月というのに蕨が群生
ほくほくしながら一回は食べられる量を確保
梅雨真っ最中のこと 激しく動く雲間に雪を頂く北アルプス
霧ヶ峰・蓼科・浅間山・南アルプスなど僅かに望む
ウツボグサ 昔は平地や近くの山ででも見られたが、山に上がってきているのだろうか
下りでは「ウリハダカエデ」という名前が付けられている木を発見
葉は切り込みの少ない桑を丸くした形をしている
濃い緑に映える真っ白な花を車道の横に見つけ
下山と同時に激しくなった雨に濡れながら写真に収めた「シロバナタニウツギ」
登山者には一人も会わなかった
しかし
人々の足跡が様々な形で付けられ
姿を伺うことが出来る賑やかな山だった
ネパールの花 [山行2012]
2000~2500Mの花 2012-5
日本でも見られる花の種類がある。しかし、厳しいヒマラヤの気候に合わせ、葉や茎には毛が多く付いている。
ドゥーンチェのロッジには薔薇のツルのように伸びている花が植えられている。
ナデシコ科・ミヤマミミナグサ似 羽の形はシロチョウと同じ・太い紋様に白と黄色が鮮やか
タチツボスミレの仲間・葉は厚く毛に覆われている ハルリンドウやタテヤマリンドウ似
コゴメグサが地下茎を太くして延ばし毛をまとっている ヘビイチゴは同じ
今回のトピック!大きな岩にランが花を付けていた。
デオラリから深い渓谷を下る
下りきった大岩に数株がしっかり根を張っていた
Coelogyne corymbosa
飯縄山 [山行2012]
飯縄山 2012-7-3 唐さん・西さんと
「ネパール植林トレッキング反省会の後、飯縄山に登らない?まだ登ったことが無いの。」と唐さんからの誘い。登ることに。
朝のうち雨だったので、一旦は中止になったが、お茶している間に晴れ間がのぞいてきた。昼近くなって登り始めた。
鳥居をくぐるとすぐ白い花が。開いている花は、イチゴとそっくりだが、葉が丸いのでイチゴではない。
飯縄は信仰の山として古くから人々に親しまれてきた。登山道脇には十三佛が祭られている。雨上がりの緑の樹間で静かに祈り佇んでいた。
「硯石」では小学生に出会った。山王小学校の5年生とのこと。長野市内の小学校は殆どがこの山に登り、キャンプを経験する。雨の後の泥道を、運動靴でぴょんぴょんと走って降りる元気な子の後を、女の先生がおぼつかない足取りで一生懸命下ってくる。保健室の先生らしい。思わず「がんばって!」と声をかけた。これからキャンプをするのだろう。雨が上がって一安心だ。
「駒つなぎ」まで一気に登って一休み。吹き出る汗を拭った。7月ともなると1000M台の山は暑い。しかも、休んでいるとブユが顔の周りにまとわりついてうるさい。
ブユに追いかけられながら高度を稼ぐ。約2時間で山頂に。晴れていれば、戸隠、黒姫、北アルプス、蓼科、富士山までの展望があると言うが、まだ雲が掛かっていて見えない。
頂上1917Mで記念写真を撮り、下山。オニツツジの遥か下に雨上がりの高原が爽やかな景色を覗かせ、一服の清涼感を味わうことが出来た。
唐さんとは、植林ボランティアで知り合い、唐さんを通じ西さんと初めて山に登った。山の友がまた一人増えた。出会いを大切にしたい。
乗鞍岳 スキー [山行2012]
初夏の乗鞍岳 2012-6-29
梅雨前線は一休み。乗鞍観光センターから眺める乗鞍は、山なみに残る雪が青い空に輝いていた。肩の小屋行きバスで8:00に出発。上まで行くとまだ出たばかりの新緑が針葉樹に混じって瑞々しい森になっていた。
肩の小屋からの乗鞍
ここから山頂直下まで、まだ雪は付いている。気温が高いので、クラスとしておらずスキーにはちょうどよい加減の雪。ここをまっすぐ登って、あのハイマツ帯から左に取り付く。
ミネズオウが蕾を膨らませ、キバナ石楠花がハイマツの間に春の彩りを添えている。
一歩登ると岩梅がしっかり岩にはりついて目の前に
砂礫地をしばらく行き稜線に出ると権現池が目に飛び込んだ。濃い青色の水面にひびが入っているのは凍っているのだろうか。湧きあがる雲の中、幻想的な世界に入る。
スキーをデポして山頂へ。「宮本鞍乗」???違う違う。右から読んで「乗鞍本宮!!」冬も夏も何回か来ているのに山頂に来たのは初めて。山に登る幸せに感謝・・・合掌
残雪と岩と砂礫、ハイマツのコントラストが初夏乗鞍3000Mの魅力。
スキーブーツでの岩場の下りに気をつけ
途中から大滑降を楽しみ12:25にはバス停へ
・・・・・こんなに楽して滑り満喫・・・・
・・後は、硫黄の臭いと、湯の花にたっぷり浸かって無料露天風呂最高でした・・
ネパールの花「チマールグラス」 [山行2012]
ドーンチェ~ゴサインクンド トレッキング 2012年5月
”チマール・グラス=石楠花”
♪プロローグ♪ 植林ボランティア中に出会った花 右・・高貴な白い花 ”チュワ”
・・・・3000Mから上にはチマールグラス(石楠花)の灌木が深い森のあちこちに・・・・・・
真っ赤な石楠花は3500M付近に見られた。
一般に石楠花のことはラリ-グラスと言われている。
ラリーは赤を意味し、石楠花はネパールの国花。
低地にある大木の石楠花を「ラリー・グラス」
3000M以上にあり、灌木までしか育たない石楠花を「チマール・グラス」と言うと
サーダーのサンタマン・タマンさんに聞いた
副ガイドのスーバス・ライさんはこんなことをしてしまった
似合っている!
♪エピローグ♪
絽の着物を思わせる「ジャガランタ」
主都カトマンズでは、街のあちこちに青紫の花を咲かせていた
ネパール植林ボランティアⅧ 牛乳パックの森 [山行2012]
ベトラワティ 牛乳パックの森 2012-5-2
マネガウン植林センターから段々畑の間をぐんぐん下る。コンクリートの歩道が出来たばかりらしい。安倍Drは数段ずつ止まっては道の様子を写真に収めている。Drの出資で作られたのだろう。聞いてないので推測だが。急斜面にこのような階段のある道が出来れば行き来が楽になる。 トリスリ川の流れるマネガウンまで約300mほどの標高差を緑豊かな日本の風景にも似た景色を楽しみ、爽やかな風を受けながら下った。
牛乳パックの森の全景が見渡せる場所まで下った。ベトラワティの町の向こうに小高くこんもりした森が見える。それが、牛乳パックの森。1991年長野牛乳パックリサイクルの会の活動が、安倍Drによりこの山への植林に結び付いた。
ベトラワティ中心街には、ドゥルガさんのお姉さんナニミヤさんが店を営んでいる。
ベトラワティ中心街にある店とシテご夫妻
店で一休み後、牛乳パックの森へと出かけた。急斜面にはまたもコンクリーで階段のある歩道が新設されていた。サラソウジュが山全体に植林されており、柔らかな緑は目に沁み、木漏れ日に癒された。
中腹まで登って一休み。そこには広場が作られ、菩提樹が植えられている。ベトラワティでの植林を中心になって進めてきたサンドラ爺を記念して植えられたとのこと。植林に乗り気だった村人も何年か経つうちに一人減り二人減って行く。そんな中で、ずっと木を見つめ、苗木を植え、水をやり、森の整備を続けてきたのが、サンドラさんとその家族だったという。「昔、ここはサラソウジュの森だった。」と語ったサンドラさんの言葉で、Drはここにサラソウジュを植えた。今は、素晴らしい森に生き返っている。山は、一種類だけの木にすると、植生が変化してしまうので、サラソウジュに合う、松なども所々に植えてある。
森のこと、自然界の摂理、土地の生活や風習などなど諸々のことに通じていないと植林の成功は無い。植林センターの職員を育て、ネパールの人々を説得し、その力を引き出し、橋や歩道の建設、衛生的な生活や仕事への指導・・・数えきれない村への献身的な努力がこの森を育んできた。一筋の道に邁進する安倍Drはまぶしく、私など彼の前に出ると何を話したらよいか、沢山聞きたいことがあるのに、何も口から出てこなくなってしまった。そんな私たちにも気を使い、駄洒落を吐いては笑わせてくれた。深い愛情に満ちた安倍Drである。今日が最後なので、思い切ってツーショットでの写真を頼み、牛乳パックの森の中で撮ることが出来た。
菩提樹は必ず雄木と雌木が並んで植えられている。一休みしながら下の町を眺めることが出来た。対岸の山はサラソウジュの森が二つに分かれ、中心部に崩れた後が見える。「あそこは、3回ほどやってみたがなかなか根付かない難しい場所だ。」とDr。一旦失った緑の回復の難しさが覗いていた。
菩提樹の広場と菩提樹の葉 (先が細長いインド菩提樹)
もう少し登って尾根に出ると、そこには貯水槽と小屋が建てられていた。ホースで水が引かれ水槽には小さな魚も泳いでいる。ここから水を運び、森全体に水やりをし、時には泊まり込んで作業に当たることもあると言う。大きく成長した木々に囲まれ、緑のシャワーが降り注ぐ気持ち安らぐ林間の一角である。
右斜面を見てびっくり!斜度60度以上はある。ここにも見事にサラソウジュが活着している。さしずめ、確保していかなければ、とても登り降りの出来ない斜面に!である。この木が無い時には、対岸のように崩れやすく、雨でも降れば土砂が流れ落ちる場所だったことが伺えた。
尾根筋にある貯水槽と小屋 急斜面のサラソウジュ
ところが、またまた驚くことが!何と私たちに食事を作ってくれている皆さんが、先に到着して、小屋の裏でガスを焚き、昼食の準備に取り掛かっていた。え~?お昼をここで作っていただく?登るだけでも大変なのに、鍋、釜、食器、食料を担ぎあげてくれている。シートを敷き、真ん中に花柄の布を置いて即席の素敵なテーブルもすでに出来上がっていた。
ここまで5日間ずっと私たちに付き添い食事を作ってきた皆さんともこれが最後で今日はお別れとなる。Drが「ネパール料理のコック。」と注文を付けて頼んだ方たちである。おかげでカレーとジャガイモ、黄色くて辛い漬物、パンケーキ、ミルクティー・・・を毎日口にし、ネパール料理にすっかり馴染んだ。
今日は、牛乳パックの森のまん真ん中で、森に浸りきって昼食が出来る。素晴らしいピクニックだ。ハプニングに驚き、そして感謝あるのみ。これは、取りも直さず安倍先生の配慮があってのこと。温かい食事とみどりを渡る風とともにネパールに取り戻した緑の美しさ、素晴らしさをを胸に秘めておこう。
記念写真を撮り、 枯れ葉が敷かれ、ふかふかした樹林の中を下山。
足元にひとひらの白い花弁が落ちていた。見上げると何と「チュワの花」が咲いている。緑と青空の中に白く高貴な姿を輝かせていた。
5日間、毎日ネパールの人々との新しい出会いとカルチャーショック、植林事業の凄さを体感。その後のトレッキングでネパールでは3700M地点まで原生林が残っていることを見てきた。ドーンチェに向かう主要道路脇のあの斜面の崖崩れと、裸になっている山々は2000M付近である。昔は木々が茂る緑豊かなネパールだったであろう。ここに緑が戻るのは、いつのことになるのだろう。気の遠くなるような話だが、私に出来る少しのことから出発してみよう。
ネパール植林ボランティアⅦ ノムラジュ タパさん [山行2012]
ノムラージュ タパさん 2012-5-1
マネガウン植林センター裏には沢山の苗が育てられていた。行ってみると、ポットの中に草が随分見える。そこで、Hさん、kさんと一緒に草むしりを始めた。小さい苗を痛めないように抜こうとするが、そこは雑草のこと、根を長く伸ばしてへばりついている。根っこを残さないように根元を持ち力を入れて引き抜いた。
そうこうしていると、そこに植林センターの職員がやってきた。まだ若者である。名前を聞くと「ノムラージュ タパさん」そして歳は、22歳と言う。
一緒にやり始めると、その仕事ぶりは見事なもの。ぐっと伸ばした指先で草の根元を一瞬で掴み引き抜く。その早さは私たちにはとても追いつかない。常なる仕事の姿がそこにはある。
育てている種類は多く、名前も教えていただいた。 コップール、ネップール、ソラームウッディー、ヒマラヤマツなどの他、実のなるマンゴーやコーヒーの木などもあった。まだまだあったが覚えきれない。
ノムラージュさんの草を抜く姿に、こんな小さな苗木から大きな木に育てるまでの粘り強い取り組みが見えた。力強い若者の背中が頼もしく感じられた。今後10年20年先にこれらの木々が緑成す日が楽しみである。
ネパール植林ボランティアⅥミンクマリさん [山行2012]
カウリ村からマネガウンへ・ミンクマリさんに会う 2012-5-1
村人と記念写真に納まり、ゴンバにてお別れの儀式。読経のような低い声で全員が歌い、カタをかけ一人ひとりに挨拶をいただく。私たちはそれぞれに現地で覚えた言葉を気持ちで伝えた。「ダンネバードありがとう。」「ナマステさようなら。」「ラッソーありがとう。さようなら。」カウレ村では私たちに出来る限りのおもてなしをしてくださった。温かい気持ちが溢れているような人々が住む村だ。現代人が遠くに忘れてきてしまった大切なものを持っているように感ずる。人家はまばら、家の周りには木が植えられ、段々畑の下には流れ止めのように木がしっかり根を張っていた。緑豊かで閑静な村カウレだった。
昨日登ってきた道を今日は2時間半歩いてマネガウンまで下る。道端に咲く可憐な花、製材作業を手作業でやっているめずらしい風景、湧水をタンクに集め流し出している沢などを見ながら気持ちよい散策となった。
ゴンバは、村の集会などに利用されることが多いのだろう。マネガウンでも村人たちがゴンバに集まって待っていてくれた。
ここの植林センターを作った亡きアイマイシンさんの奥様ミンクマリさんが、バナナやお菓子をの入った袋を私たちにプレゼントし、迎えてくれた。バナナはこの村で採れた完熟物、甘くてとろりとした絶品。アイマイシンさんは、植林3Gのうちの一人。村の指導者として植林を進めたり、村に電気を引いたりなど貢献した方である。ミンクマリさんは鼻の横にきらきら光る素敵なゴールドの装飾品をし、知的で魅力的な女性だった。
昼食は、今までで最高に豪華なネパール料理。ココナツミルクご飯に野菜のカレー煮などの皿の上に大きなナッツ入りドーナツが乗せられ、飲み物は、ジュース。ココナツミルクご飯はまったりとしたミルク味が上品で食べやすかった。ところが、ジュースは作る所を見てしまった。水に粉末を溶かしたものだ。生水を飲むのは後が怖いので、せっかく出していただいたが、やめておいた。
すぐしたにあるミンクマリさんのお宅にお邪魔をした。綺麗に掃除され、気持ちの良い風が木陰を渡ってくる。横の畑で苗木を育てている。しっかり手が入っている様子で元気よく育っている。家の中で一休み。大きなボールにいっぱいのピーナツが出てきた。このピーナツはミンクマリさんが育て、掘り起こし、煎ってある。殻は黒っぽくなっているが、中身は最高。こんな手作りピーナツも初めてだった。働き者でしっかり者のミンクマリさんのご相伴にあずかることが出来た。
3ほどは、ここに宿泊する予定で、ミンクマリさんもぜひ泊まってほしいと言ったそうなのだが、ずっと下にある植林センターまでの行き来は大変なので、全員が植林センターに宿泊することになった。
30年ほど前に建てられたセンターは古くなり、どすどすゆすったりしないように注意された。木造で、床は土で固められ、その上にござやシートを敷く。この土がこの土地の風土に合っているのだろう。私たちは、二階テラスのようになっている所で外の空気を吸いながら寝ることとなった。涼しい空気につつまれぐっすり休んだ。
ネパール植林ボランティアⅤ 水やり作業 [山行2012]
ネパール植林トレッキングⅤ 水やり作業 2012-4-30 カウレ村
③-2 水やり作業
長い落成式典と折り紙遊び後、いよいよ作業が出来ることになった。緩やかな山道を約30分ほど歩き、小さな木が植えられ、乾季終末の今はからからになっている場所にたどり着いた。
途中、神聖な場所をトラバース。
上の岩が「ブッダ降臨の岩山」 歩いている岩が「神の舌」 と呼ばれている
2年前、あの大きな岩の前にブッダの姿を子どもが目撃
植林してから3年ほどたつと言うが、まだまだ小さく、踏みつけないように注意が必要だった。中には枯れてしまったもの、心配なものも見られ、活着まで何年間の水やりが必要なのか苦労が忍ばれる。さらに、この植林地下部は突然切れ落ちている崖があるので、注意を促された。以前現地の人が、作業中に転落し救急車で運ばれたことがるという。危険をも含んだ植林作業になる。
先ず水やりの方法を見せていただいた。貯水槽からホースで引いてきたか細い水を容器に入れ、その水をいっぺんにやってはいけない。手を添え、少しずつ、根元に浸みこませるように斜面に流れて行ってしまわないように、丁寧に作業をしなければならない。植林センターに勤めるランバーブさんが見本をやってみせてくれた。
重い水を運んで丁寧にかける作業は、やってみると重労働。数回やっただけで疲れてしまう。一人や二人では、この斜面に植えた木全部にやるのはそれこそ大変な仕事になる。段々畑と斜面で暮らしているネパールの人の力なくしては出来ないことだとつくづく想わされる作業となった。
そんな時、学校からの帰りらしい制服姿の生徒が二人山道を来た。聞くと、この山道が通学路になっているという。誰も通りそうもないこんな山坂を歩いて、尾根を越えた向こうにある学校までの通学である。
山の作業に心地よい疲れを感じながら、山道をゴンバまで帰り、新しいゴンバで一夜を過ごした。夜はライトアップしたゴンバが見られた。停電もあったが、カウレ村には電気も引かれている。
朝になって気づいたのだが、ゴンバの下では苗木を育てていた。植林センターの職員が水をやったり、草を抜いたり世話をしていた。苗木は実生で育てたもの。
ネパール植林ボランティアⅣ 3時間半の読経と村人 [山行2012]
ネパール植林ボランティアⅣ 2012-4-30 カウレ村
③-1 ゴンバの落成記念式典に参列
今日は、ずっと高い所にあるカウレ村に行く。6時半には出発。 今までよりさらに大きな揺れをはらわたまでくねらせながらランクルで登ること2時間余り。カウレ村に到着。
赤い壁にまぶしい黄色の窓と壁面のラインが浮き立つ新しいゴンバ(寺)が建っていた。 この落成式に参加させていただくこととなっている。宗教的な行事に外国人を招くなど、信仰深い地域にあることなのだろうか。出来ることではない。安倍Drの絶大な信頼があってこそのこと。カウレに近づくと安倍Drは窓から声を掛けていた。「らっそー らっそー。」 人々は、安倍Drと見て取るやいなや親しみを満面に浮かべ手を合わせて挨拶を返していた。村人の誰もが知り、誰もが信頼を寄せていることをうかがい知ることが出来た。Drも「ここでは何も心配はいらない」と安心しきった様子である。
村の人々が右にラマ僧の皆さんが左側に並んで読経の音楽とともに寺の中へと迎え入れてくれた。入口には何とWELCOMEの横断幕が掲げられている。
二階が祭壇のある広い部屋となっており、私たちは右側に一列に並んで座り、もう一方には僧侶が十数人一列になって読経を始めた。中心になって勧めている僧侶は、鐘や太鼓、鈴のようなものをまるで踊るような手つきで鳴らしながら、統率をとり、歌を歌うように読経が流れた。入れ替わり立ち替わり村の婦人たちが祭壇にお祈りし、私たち一人一人に手を合わせた挨拶をし、続いて五体投地のお祈りを捧げ真ん中に座って読経に浸る。この繰り返しで約60人くらいのご婦人がお祈りしたのだろうか。その間、3時間半と延々読経は続いた。男はこの村の指導者らしき方、若者の数人のみだった。男は参加しないのだろうか。
蝋燭を灯し果物などを祭壇にあげ、水を振りまくのは日本と同じである。生米が出てきたのも日本のお墓参りの時を思い起こさせる。ただ、その生米を両掌に乗せ指を複雑に組んで胸の前で捧げながら読経を聞いている。私たちは真ん中にいるご婦人方から指の組み方を教わりやってみた。こうして捧げると信心が深まるような気さえしてくる。チベット仏教の色が強く日本のそれとも通ずる部分が多いのに違いない。読経が音楽的なこと、僧侶がそのリズムに合わせ優雅な足さばきで敬虔に質素に踊るのは、日本では見られない自由な発想が伝わってきた。
蝋燭を持って祈る 五体投地
僧侶 挨拶を交わす
昼食後は、外で子どもたちと触れ合った。鉛筆や飴を配った後、宮本さんが作ってきたブンブンゴマを配った。最初は中々手を出さなかったが、少しずつ慣れ、回せるようになると素晴らしい笑顔を見せた。
ブンブンゴマが行き渡らなかった少し大きな子どもたちは、折り紙のおり方をじっと見つめて、すぐ覚え、風船やとっかんや飛行機など皆で楽しむ時間を持つことが出来た。折り紙じさんは池田さん。子どもたちとの触れ合いに媒介を果たしたのは、ブンブンゴマと折り紙だった。
ネパール植林ボランティアⅢ 豊かな森・母の橋・トラの出没 [山行2012]
ネパール植林ボランティアⅢ 2012-4-29 トゥプチェ
②-2<豊かな森の回復・母の橋>
村を一周しながら、トゥクチェの植林の様子を見学。植林センターから山道をトリスリ川の方へと降りて行く。今まで見ていた景色とは一変し、田んぼには青々とした稲が育ち、畑のトウモロコシは太く勢いよく成長している。トリスリ川河岸の肥沃な地の豊かさがそこにはあった。
トリスリ川には吊り橋が掛かっている。これが「母の橋」である。 村人の切なる願いとロクさんの堅実な計画、安倍Drの亡き奥様への心を込め、この橋が完成した。私たちが訪れた時にも、荷物を背負った人や、学校に通う子どもたちが間断なく行き交い、この橋の重要さを目の当たりにした。
ネパール植林ボランティアⅡ 300人の子どもたち [山行2012]
ネパール植林ボランティアⅡ 2012-4-29 トゥクチェにて
②-1< ロクさんの表彰と300人の子どもたち>
植林センターでは木陰の下に穴を掘り、大きな鍋をかけスコップほどのしゃもじを使って、食事の準備をしていた。これは私たちのためなのだろうか。それにしては量が多すぎる。
シートが敷かれた木陰で食事をいただく。さっき食べたばかりだったが、同じカレーでもちょっと違う。美味しくたいらげてしまった。「漬物どうですか」と黄色いスープのような辛い物を勧められた。日本では福神漬けのしょっぱさをおかずにするが、ここでは辛みをスパイスにして食べるらしい。
食後しばらくすると、小学校低学年の子どもたちがやってきた。これから300人の子どもたちに食事が振る舞われるとのこと。300人と言ったら長野では1学年2クラスの小学校全校の人数に匹敵する。それで、あの大鍋でご飯をかき混ぜていたのだ。
なぜこんなに沢山の子どもたちに振る舞うのか。安倍Drが学費援助をしているバサンテさんの誕生日をお祝いしてとのこと。また、植林を手伝ったお礼も含まれているようである。
一番小さな子から一列に並ぶ。すると後ろの元気な男の子が後ろからがんがん押して、前の小さな子どもたちが転びそうになる。付き添っていた先生が、大きな声を張り上げ注意をしている。どの国の子も同じ。子どもらしい姿が可愛い。お皿とフォークを順番に受け取り、カレーを盛ってもらっていた。 しばらくすると、11年生という大きな子どもたちもやってきた。高校生である。行き会うと、手を前に合わせ「ナマステ」と挨拶をする。真っすぐ視線を合わせ、気持ちを伝えてくる生徒たちだった。
一段落した所で、植林の始まった時から一貫して安倍Drの手足となって植林を進めてきたドールガさんの兄、ロクさんが表彰され、バサンテさんから感謝のカタが全員に贈られ、私たちからは子どもたち全員に鉛筆と飴が手渡された。
その後、大変なことに!!
子どもたちに囲まれていた私たちは、ちょっと手持無沙汰という格好になってしまった。安倍Drたちはしばらく会議をすると言う。さて、どうしたものかと・・・生徒に歌「ふるさと」を披露することになった。歌が終わるや否や大きな声援と口笛で喜ばれる。次に生徒たちから、手を胸に当て、全員で「国家」が返される。そこから始まり、次々に歌が交歓され、やがて、ネパール民謡「レッサンフィリリ」になった。リズムに乗れる曲である。4年生くらいの子どもたちがそれは元気な声で歌い、リードし踊り出し、遂には一緒にダンスで熱中して楽しむ大交流会に発展して行った。
子どもたちと打ち解けた時間を共有する素敵な時間を思いがけず持つことが出来た。
ネパール植林ボランティアⅠ カトマンズからトゥプチェへ [山行2012]
2012-4-29~5-1 長野県山岳協会
1990年からネパールにおいて植林を始め、400Hrに50万本の木を活着させた男
それは、松本市在住の医師で登山家の安倍泰夫氏
ネパールに行き、直接植林作業を体験するとともに、地元の人々との触れ合いを通して活動を支援するという目的を掲げ、長山協の田村宣紀顧問がネパール植林ボランティアの計画を立ち上げた。
参加者14名
驚きと感動、また、とまどいなどを胸に詰め込んで帰国した。
① カトマンズ~トリスリバザール~トゥプチェ
② 300人の子どもたち・トラの出没・そのすじの方(トゥプチェ)
③ 3時間半の読経と村人(カウレ村)
④ ミンクマリさん・牛乳パックの森(マネガウン)
① カトマンズ~トリスリバザール~トゥプチェ
むっとする独特なにおいのあるカトマンズ。雑多でゴミだらけの街。ひっきりなしにけたたましいクラクションを鳴らしながら勝手に走る車。その間を縫うようにすり抜ける無数のバイク。平然として横断する人々。信号は一か所しかない。道路端はゴミだらけ。市内を流れる川はさながらごみ埋め立て地と化しどぶの臭いが充満。街は沢山の人々が行き交っている。「何をする人なんだろうね。」と何回も口にした。この雑然さに加え、昨日の南風が運んできたインドの濁った空気が町中によどんでいた。
市場が見えてきた。これで、街中を抜けることが出来る。10年前ここでバナナを買って行ったことを思い出し、懐かしくなる。しかし、あの時より随分汚くなってしまった。
世界で一番美しい谷と言われているランタンへの道をランクル4台に分乗し、カカニ峠を越えトリスリバザールへと向かう。山の斜面を嘗めつくすように天まで届く段々畑は、見事と言うしかない。きれいに耕されている。姨捨の棚田を10段積み上げた高さまでうねりを見せ続いていた。
水色のワイシャツにネクタイを締め、グレーのスカート・ズボンを身に着け、小脇にノートを抱えて歩いている小学生から高校くらいまでの子どもたち。涼やかな容姿と惹きつける瞳の美しさが印象に残る。対称的に、道路脇や、水場、家の前で何人かが座り、何をするのでもなく道路を見ている人たちがいる。時間がゆったり流れる不思議な空間を作っている。
約4時間でトリスリに到着。TAKARI HOTELという小さな店で昼食とする。 ネパールでのごく普通の食事。ご飯、カレー、ジャガイモのカレー炒め、ホウレンソウ、辛いピクルスなどが一皿に盛られている。 ご飯は長細くてパサパサしているが、それがカレーに合う。
トリスリはこの辺りで中心的な街だけあって賑やか。食料品や日用品などの店が並び店先には、野菜や果物が溢れるように積み重ねられている。きゅうり、にがうり、かぼちゃ、三尺豆、りんご、バナナ、オレンジ、あるいはバケツ、水入れ用のポリタンク、箒などなど品物は豊富。
主要道路を左に分け、いよいよ植林地のトゥプチェに向かう。入ったとたんに道路は悪くなり、土埃と大きな揺れにもまれて進んだ。
段々畑にはトウモロコシがひょろひょろと30㎝ほどに伸びている。乾ききった畑で、よくぞ芽を出したものだ。その向こうにある山は、やや黄緑の葉に覆われている。「ここは、植林地かなあ。」と田村さん。整然とした森が広がっている。そんな景色の中を約30分。トゥプチェに到着した。
村人が集まってきてそれぞれ手にした花(ハイビスカス、マリーゴールド、ブーゲンビリア)を渡しながら手を合わせ、「ナマステ」と丁寧な挨拶で歓迎を受けた。
安倍Drは先に到着しており、迎えに出てくださった。
「来た道の左側は全部植林した森です。谷の向こうもそうです。」との言葉に唖然とする。車で30分通過した森、こんな大きな森を作った膨大な努力と仕事量に「凄い!」としか言葉が浮かんでこない。
浦倉山 [山行2012]
浦倉山山スキー 2012-3-20 メンバー H・I
湯の丸高原の地蔵峠を越え嬬恋村パルコールつまごいスキー場に到着。山スキーに慣れないので、登りはシールで、下りはスキー場をとの計画。
スキー場に車を止めて9:30出発。右に見える尾根沿いに登って行くと、スキー場右側にやや小高くなった浦倉山の山頂に至る。ゲレンデの右端を歩き約15分で浦倉山登山道入り口「野地平入口」についた。僅かなトレースはあるが、人は殆ど入っていないようだ。
針葉樹林帯とダケカンバが交互に出現する。山は明るく、柔らかい雪原がひときわ白く気持ちよく広がっている。
野地平かと思って歩いていた雪原はどうも左に寄り過ぎたらしい。針葉樹林の向こうを見たら、すぐそこにボーダーが降りてきていた。上から降りてきたボーダーかと期待をしたら、何と、そこはゲレンデでした。がっかり。随分左に寄ってしまった。
再度樹林に入って右へと移動しながら登る。ようやく上部のダケカンバ林に入ることが出来た。秋のうちに偵察したIさんの付けたテープが所々に残っており、安心して登る。ようやく道標に巡り合えほっとする。これで、高度を上げて行けば頂上に到達する。
想像以上に積雪量が多く登山道は殆ど不明。ルートファイティングにややてこずった。
3時間ほどかかってようやく山頂に到着。大きな雪洞を掘った跡があった。ここで、一晩過ごして遊ぶのも面白そう!
浦倉山からの浅間山
四阿山・根子岳
山頂からスキー場上部まで尾根を滑り降りる。結構な深雪。これをうまくすべったらいいだろうなあ~~~!
山頂から野地原へと滑り降りた方がずうっといいだろう。
小さな山だが、登りも下りも心地よく楽しむことが出来そう。何より気に入ったのは、山と風と太陽と雪と対話が出来るとても静かで誰とも会わない山だったこと。次回は、深雪を滑る!
八ヶ岳 稲子湯~本沢温泉~夏沢峠 [山行2012]
八ヶ岳 佐久側より 2012-2-11・12 メンバー K・T
前回は茅野側からの硫黄岳、今回は、佐久側から。前のように簡単にはいかないことを計算し、本沢温泉での宿泊を入れ、山登り秘湯体験記にでもなるよう一日目は本沢温泉を目指すことにした。
とりあえず本沢まで今日中に到着すればよいので、出発はゆっくり。埼玉からご主人の車で送ってもらうKさんを北中込で8:20に待ち合わせて稲子湯に向かう。稲子まではバスが通っているので除雪などしっかり出来ているが、松原湖から登るにつれ雪が多くなり、稲子湯に着いた時には本格的に降り始めた。
稲子湯駐車料は一日300円。この上にある無料駐車場は車上あらしが多いという噂があるし、トイレを借りることもできるし、帰りにはすぐ温泉に浸かることもできるメリットがある。
宿の前が氷でつるつる。その上にうっすらと雪が乗っているので・・・その滑ることと言ったら危険極まりない。気を付けて歩いていたのに、氷ではなくとんだ落とし穴が待っていた。登山靴の紐を踏んで思い切りかっこ悪く転んでしまった。その上、アイゼンを着け車の横に歩いた瞬間、アイゼンの歯にひっかかり膝を思い切り氷にぶつけて転倒.持っていたサングラスを割ってしまった。・・・・ここに来ただけで、2度も転倒し、その上高価なサングラスまで使い物にならなくなった・・・・・・大丈夫?しかも、相棒のKさんはスパッツを忘れたとのたまう。「どうしよう」と稲子湯のドアを開けるとそこに若奥様。「どうしたの?」「それじゃ待っていて。」とスパッツを快く貸してくださった。中々あることではない。感謝感謝・・・2回こけて被害甚大だけど、ここに駐車してよかったと気持ちを持ち直す。
歩き始めてみると雪が柔らかく、下も凍っていないので、アイゼンは必要もなさそうだったが、結局2日間ずっと履き続けた。歩き方の下手な私にはアイゼンは、ありがたい履物である。
稲子湯を9:30過ぎ出発。3本の車道をショートカットしている登山道を登る。 30分も歩くと汗がにじみ一枚脱ぐ。去年崖崩れで通行止めになっている登山道を迂回して、また合流する地点を過ぎると急登になる。ここ一カ月、トレイニングに精をだした成果を確実に感じる。一歩一歩歩くのが快適。一歩進めるごとに反対足の力を脱力して休めながら登るそんな余裕がある。前に重心をやや傾けることでぐんぐん進む感覚も気持ちがよい。先行していた2グループを追い越すこともできた。これはまさに記録的! 2時間半で樹林を抜ける。
青空に凜と居座る天狗岳・みどり池。
昼食をとって休憩。天狗には雪煙が上がって寒そうだが、ここはわずかな風。それでも汗が冷え寒くなる。早々に出発。中山峠との分岐を過ぎると下ったり、登ったりだらだらと行く。本沢温泉2:00到着。
硫黄の爆裂火口右山頂から雪煙が吹き下ろす。明日の晴天を期待して小屋に入る。
さすが氷点下の最中に野天風呂に入る気はしない。4:00から女性が入れる別棟の「石楠花の湯」に出かけた。とはいっても隙間だらけの小屋に四角い湯船、鉄の水道管でお湯を引いているだけの風呂である。狭いが、最高10人は入ることが出来そう。天井から露ではなくて氷が落ちてくる。周りの板壁には結晶を作りながら湯気が凍り始めている。しかし、湯加減は最高。鉄分を含み、赤茶けた湯がじんわりと浸みこんで、冷え切った体を温めてくれた。夕食までのひととき、談話室の薪ストーブを囲み、知らない者同士、山談議でゆっくりする。天狗~夏沢峠を来た方は、「今日は風が冷たくて凄く寒かった。」と言う。明日は天狗~中山峠というグループもあった。硫黄のあのきつい登りを考えたら、風さえ無ければ天狗の方がいい。中山峠からシラビソへ1時間の魅力にひかれる。そこで、急きょ、明日は、夏沢峠から天狗を目指そうという相談になった。
朝7:30小屋を出発。ここからは、ぐんぐん高度を稼ぐ。途中2か所で雪崩たデブリに登山道が埋まっていた。今はしっかり雪が付いているので雪崩る心配はなさそう。昨日の疲れか、急登なのか足が重い。苦しい登りを懸命に頑張る。ショートカットルートの急登をわざと進む。Kさんはそこになると少し時間が掛った。登り慣れないらしい。もうすぐ山頂の手前、Kさんが口を開く。「登山は耐えることも大事ですね。」と、その言葉に救われる。私ばかりが苦しかったのではない。やはりKさんも大変だったのだ。そうか、これなら、老齢の私もまだまだ頑張れるぞと思いなおす。約1時間で夏沢峠。
主のいないひっそり佇む小屋が雪と氷、吹雪に埋もれていた。
鉛色の空、横殴りに吹き付ける雪混じりの風、根石岳はガスで見えない。後から来た4人はこれから決行とのこと。準備を急いでいた。そこに、硫黄から一人下ってきた。寒くて顔が凍ってしまったという・・・・即決、撤退。無理をして天狗の稜線を2時間半吹雪かれ続けたらどういうことになるか、先は見えている。またの機会もある。
稲子湯で温泉三昧を選択。下る途中、日本最高地点の野天風呂で足湯ならぬ、手湯につかった。体は温かくも手先は冷たくて凍えそうになっていた。手だけでも湯に浸かるととってもいい気分。気持ちまでほぐれた。温泉の威力に満足して下山。
八ヶ岳 硫黄岳 [山行2012]
八ヶ岳 硫黄岳 2012-1-22・23 メンバー T・H
昨日、一昨日と上雪とでもいったらよいか。南から温かい空気が流入し、長野県中部は雪になった。大寒だと言うのに佐久地方では春のようなぼた雪が積もった。今シーズンは冬型の天候が続いていたので、八ヶ岳の雪も少なかったが、これで、ようやく冬山らしく雪をまとっていることだろう。
佐久を5:00に出発。美濃戸口6:45着。Tさんが車の中で手を振っていた。さっそく準備を始める。車外は随分暖かい。素手のままで靴をはき、スパッツを付けるが全く冷たくない温かさである。明日の朝からは冷えるとの天気予報だった。適度に雪が積もり、歩きやすく、好天に向かっている。今日はラッキーな山になる予感。
7:30出発。赤岳山荘まで1時間。ゆるやかな林道を歩く。八ヶ岳山山荘前の椅子に腰かけ休憩。小屋のおじさんがが出てきて、「この力水を飲んでってください!」と目の前のホースから勢いよく出ている水を勧められた。一口いただく。爽やかな飲み心地!
美濃山荘を通り過ぎ、またも林道を登る。だらだら坂は時間が長く感じる。やっと登山道に入りほっとしながら進む。ガスが上がりつつあり沢の向こうに大同心・小同心が姿を見せた。
11:30赤岳鉱泉到着。小屋に荷物を置いて硫黄の山頂を目指した。急登なのだが十分なウオームアップが効を奏し比較的楽に登ることが出来る。中間点の樹林からは赤岳・阿弥陀岳がまじかに迫って見えた。赤岩の頭に出る手前、僅かな部分、雪崩そうな場所があるのだが、そちらには一人だけの踏み跡があった。そこを避けハイマツの上を登る多くの踏み後があるトレースに従う。
最後の岩場も雪が適度に着いて埋まっているので、容易く山頂に到着。14:30
暖かいとは言っても、硫黄岳山頂である。冷たい風が吹きつけていた。展望は、360度。冬の八ヶ岳でこの展望に会えるのは稀なこと。最高の日に登ることが出来た。
硫黄岳山頂からの赤岳 前左は小同心の岩壁?
天狗岳・蓼科山 雪原・雲海・浅間山
硫黄岳噴火口壁
やや風が強いので、早々に下る。
赤岩の頭に降りると、そこは別天地。お日様がポカポカと照り、無風。雪の上の風紋は嘘のように穏やかな、昼寝でもできそうな丘になっていた。ここからの八ヶ岳はいつ見てもいい。
冬の八ヶ岳
威厳を放つ阿弥陀岳
厳冬の八ヶ岳を味わい、満たされた心地で下山。赤岳鉱泉でゆっくり一晩を過ごす。
満天に輝く冬の星座を観賞。オリオン・スバル・冬の大三角形・双子座・・・・など ほか無数の小さな星もまたたきを送ってきていた。
翌朝、小屋から出るとガスが降り始め、雪もちらついてきた。昨日登ってしまったのは、好判断だった。今は下るのみ。2時間で美濃戸口に到着。「温泉もみの木」にゆっくり浸かって帰路に着いた。
赤岩の頭で振り返った硫黄岳
蓼科山 [山行09]
蓼科山2530M 2012-1-8 メンバー S・H
八ヶ岳天狗岳が美しい姿を見せていた
蓼科山にテント泊の計画が、リーダーの都合によりキャンセルになった。この3連休は好天が見込まれる。山に行かないでくすぶってはいられない。 Sさんに連絡をとり出かけることに。
佐久を7:30出発 女神茶屋駐車場は満杯だった。やっと一台入れるスペースを見つけ、新雪にタイヤをスリップさせながら何とか駐車。中型バス1台、乗用車が約30台。連休中日ともなると県外車ばかりである。
準備を終え時計を見ると9:00。 いい時間だ。しばらくは笹原の雪原を登る。約一時間で小ピークに到着。樹林帯の中にテント一張分位の広場があった。そうか、ここなら風も遮られいいかもしれない。少し下って平らな個所を過ぎると、石がごろごろしている今までよりやや多めの雪が着いている急斜面になった。
樹林帯の急斜面を快適に登る。南寄りの斜面なので、日差しが気持ちいい。枝に着いている雪、針葉樹の緑、その間から覗くのは、真っ青な空。高い山でしか見ることが出来ないこの青さ。紺碧の空。登りで火照った頬には冷たく刺すような空気が触れる。汗でサングラスが曇る。ぐんぐん高度を稼いだ。
樹林帯はすぐにも終わりそうだったが、随分長い急登だった。一人で登っていたら、途中で何回も休んでいる所だが、頑張る。最近登ってないし、歩いたり、走ったり、していない付けである。後、30分位この苦しさを我慢すればいいのだと自分に言い聞かせて登る。
蓼科は石ばかりの広い山頂になっている。12:00に到着。小屋脇に行き、風を避けながら昼食をとる。山頂はやはり寒い!12:50には下り始めた。アイゼンの下りは足を絡んで突っかけそうになるし、石の上ではがりがりして歩きにくい。約1時間半の下りだった。
好天に恵まれ雪山を楽しむことが出来た。
戸隠山 [山行2011]
戸隠山 2011-12-23 メンバー S・K・T・H
朝が早いので20:00には床に入ったが中々眠れない。結局23:00の時計を聞いてから眠りに着いた。戸隠というとやはり緊張するせいだろう。3:20起床。佐久出発が4:00を過ぎた。長野集合の5:00に10分も遅れてしまった。
戸隠神社駐車場に着いたのは、6:00前。まだ真っ暗。トイレ入り口が広く椅子まであるので、雪の上で寒さに震えながらの準備は避けられる。
入っていくと「あら~Hさん!」と声を掛けられる。何とUさんAさんだった。P山岳会6人で登るとのこと。10月のダンプスピークのことを名誉会長から聞いて行きたいと言われた。Uさんが一緒だったら、こんな心強いことはない。嬉しい出会いがあった。
さて、長い参道を歩きはじめる。随神門にて体温調節で一本。奥社まで登る。ここからは、新雪が約80㎝は積もりわずかなトレースが有るか無いかの雪道になった。急登のラッセルが始まる。
「K!先頭!」と新人のKさんが先に立たされる。しかし、遅々として進まない。途中ワカンを付けているとH山岳会が追いついてきた。先に行ってもらうこととする。やはり、その先も厳しくP山岳会にはすぐ追いついた。そこで、またも「K!やってみろ!」とくる。若さと力では引けをとらないKさんだが、初めてのラッセルは難しい。一向に進まない。P山岳会と交互にSさんTさんが頑張ってくれた。五十軒長屋直下では時速100Mの歩みとなった。私の歳を換算してラッセルは免除。後ろから付いて行く分には、ゆっくりで本当に有難い。 冬の戸隠は3回目だが、こんなに雪があるのは初めて。最近夏にも来ていないので、ルートが私には不明。まるで登らせていただいている自分が情けない。
時速100Mのラッセル
右側に八方睨が見えてきた。目指すはあの頂。
百軒長屋を過ぎるといよいよ登攀が始まる。雪で階段を作ったり、雪を押しのけアイゼンで岩にひっかけたりしながら登る。所々鎖が出ているので、それらを使うことが出来る。10月以来ずっと岩ばかりだった。それが役立ち、快適に登攀が進む。胸突き八丁でフィックスを張る。P山岳会のUさんAさんは二人でつるべにしていた。いいなあ。フィックスは気楽だけど、物足りない。
急峻な登りが出てくる
いよいよ蟻の戸渡り手前まできた。ここまで随分時間がかかった。すでに12:30
Sさんはぐんぐん先に行く。その後に着いたKさんが叫ぶ。「え~!こんな所どやっていくんすかあー!」見るとナイフリッジの上に雪が積もり一歩踏み間違えたら谷底である。踏み抜きが怖い。夏道を忘れている目には通過が難しそうに見えた。
P山岳会は時間切れと言うことでここまでとのこと。Sさんが引き返してきた。撤退することに。記念写真を撮って下山開始。慎重に足を運びながら百軒長屋まで一気に下った。
雪山の醍醐味を日帰りで楽しむことが出来る最高の山。夏山、秋山での偵察をしっかりして、次回は必ずや登る。
苔生す 石楠花尾根 [山行2011]
苔生す 石楠花尾根 2011-9-25
テントから出ようとすると、バリバリと薄氷が落ちた。足元には3㎝ほどの霜柱が立っている。テントの中でガスを付け食事を済ませる。パンをちょっとだけ火にあぶると香ばしい香りがして温かい。
テントを撤収する頃には朝日が射し、ようやく行動できるようになり、7:30出発。尾根筋で振り向くとと、東天狗、西天狗が朝日に輝いている。
苔むした樹林帯のしっとりした空気と柔らかな緑を楽しみながら、約1時間でニューに到着。小高い岩山に登って展望を満喫。
富士山 どこから見ても大きく美しい
穂高岳 丸山の上に穂高のやまなみが収まっている。右下は高見石
白樺尾根との分岐から石楠花尾根に入る。殆ど通る人がいないのか、登山道はふかふかしたクッションがあって気持ちよく歩くことが出来る。しかし、山が整備されているので、樹林の下はきれいで広くなっている所があり、ぼんやりしていると間違えそうになる。視界が届く範囲に結ばれた赤テープがありがたい。
北八ヶ岳の苔むした原生林はそれは見事。特にこのコースはどっぷり北八に浸かりながら歩くと言ったらいいだろう。奥深いシラビソの樹林帯が続き、張り巡らした根っこを覆う青苔。
・・・・・原生林の美しさを独り占め・・・・
1時間ほど歩いた所で、登ってくる人に会った。独り歩きもいいが、やはりこんな山奥では正直心細い。二人とすれ違っただけだが、明るい気持ちで下ることが出来た。
それにしても、2時間半の単独石楠花尾根は長かった。
北八 石楠花尾根 [山行2011]
北八ヶ岳 シャクナゲ尾根 2011-9-24・25 単独行
<24日>佐久7:00~稲子湯9:00~みどり池11:00~中山峠13:00 黒百合ヒュッテ14:00~東天狗15:10~黒百合ヒュッテ16:10泊
<25日>黒百合ヒュッテ7:30~ニュー9:00~石楠花尾根分岐9:30~稲子湯12:00
秋晴れの日は、二階ベランダから蓼科 八ヶ岳の稜線がくっきり眺められる。洗濯物を干しながら、「あ~今日登ったらよかったのな~。」とため息をつく。そんなところに明日からは高気圧がはり出し晴天が続く天気予報。テント泊八ヶ岳山行には絶好のチャンスとばかりに、夕食後、そそくさと準備をした。
休日出勤の息子と7:00に家を出発。稲子温泉から登るのは10年ぶりくらいなので登山口や駐車場など忘れてしまった。バス停みどり池入口に車を置けばよかったが、帰りには温泉に入りたかったので稲子湯まで下って駐車。結局、登山道は緑池入口を経由しているので、駐車はそこにした方が便利のようだ。
しばらく沢筋の林道を行く。台風が去ったばかりで、登山道は悪い。時々ショートカットした山の道になる。40分ほど歩いた所で、ロープが道を遮り「台風15号による登山道崩落のため、通行できません。旧登山道に廻ってください。」とのこと。左に迂回、林道をやや広くしたとてもいい道が続いた。踏み固められていて、今も使われているようだ。山の管理にでも使っているのだろうか。
沢と離れる辺りになり、右から現在の登山道と合流。ここからやや急な登りとなった。ひと登りするとみどり池に到着。池の水がふだんよりずっと多く、丸太の机や椅子が使えない状態。やはり山は雨が多かったのだ。
10年前に登った稲子の壁が見える。
土日の山は結構混んでいる。シラビソ小屋では早い昼食にする人らがガスに火を付け囲んでいた。ここを避け静かな場所で休むために先を急ぐ。小屋前の登山道は完全に水没。迂回して登る。さて、稲子壁への入り口はこの辺りだったか。全く見当がつかない。当時、下見をして取り付き口までテーピングしておいてくれたKさんを思い出しながら歩く。急登に差し掛かる手前、ダケカンバ林に囲まれた草地で昼食とする。
秋の日差しと秋風に身を委ねるダケカンバ 樹間の空は青さを増す
ここからは、冬なら雪崩になるだろう急登をアルバイト。背中の重みも心地よい。
中山峠手前ですれ違った方から声を掛けられる。「ここは、こんなに凄いんですか?八ヶ岳は初めてで。」という。小学校低学年の子を連れた親子も降りてきた。「お尻を下げて低くしなさい。」などお父さんがアドバイスしている。ウイークデイに来ると人にも逢わないし、たまに逢っても中高年ばかり。静かな山を望みながら来ていながらも、すれ違う人がいると元気づけられる。
黒百合ヒュッテにテントを張り、1:30。まだ早い。天気もよさそうなので、東天狗まで往復。岩道の急登を登り切り東天狗山頂に抜ける。
阿弥陀岳 赤岳の大きな山容が待っていた
堂々としてどっしり座る阿弥陀岳 主峰赤岳にも引けを取らない見事さである
険しい岸壁を纏う赤岳。人を寄せ付けまいとする厳しさを備えている
噴火口をそのまま残す硫黄岳東面
青い天空に浮かぶ稲子南壁
夜は満天の星空に恵まれた しかし、その寒いことと言ったら、耐えきれない。夏用シュラフ、シュラフカバー、では間に合わないので、ダウンジャケット、フリース、ダウンのズボン持ってきたものをすべて着るが、それでも夜中に寒さで目が覚める。最後の手段、合羽も着こんで、やっと朝の眠りに落ちた。
霧ヶ峰 [山行2011]
霧ヶ峰(男女倉おめぐら山・車山・旧御射山もとみさやま遺跡)
9月19日 メンバー T・Ⅰ・M
「山スキーまたは、スノーシューで歩いてみたいので、下見に行かない?」と霧ヶ峰に誘われる。
今年は霧ヶ峰に何かと縁がある。先ず、八ヶ岳清掃登山が35回を数えることを取材したとき、諏訪地区の自然保護運動を続けてきた長山協顧問島田さんからいろいろとお聞きすることが出来た。昭和30年代後半から始まった霧ヶ峰への道路建設に対し、自然保護と、旧御射山遺跡保存を訴え地元住民は反対運動を起こした。島田氏は、活動の中心になり、署名集め、会議、国への提訴、保護団体の取りまとめなどに奔走した。国内の自然保護運動を牽引してきたと島田氏は自負する。新田次郎の小説「霧の子孫たち」を紹介され読んでみた。小説の通り、悲しいことに、行政や時の権力者にうまく誘導された形で、自動車道は建設され、ビーナスラインとして現在に至っている。
また、霧ヶ峰の一角にある男女倉山(おめぐら山)へは、50座登山で6月に訪れた。4山岳会の会員、親子三代にわたる参加、そして地元男女倉地区のご夫婦、営林署で働いている方など様々な想いを持った人々が集まっての登山であった。新和田トンネルの下からの登山道は標高差ほんの数百メートルなのだが、頂上直下100Mはツツジのブッシュ帯を藪こぎ。山頂に至るとそこは、なだらかな山容を草原で覆う霧ヶ峰の見事な景色が待っていた。
ところが、山頂には・・・「ゼブラ山」❍❍書・・・と刻まれた道標がしっかりと建てられていた。ここは、ゼブラ山などではない。おめぐら山のはず。国土地理院では、尾根筋を「男女倉越」としているし、このすぐ下にある集落は「男女倉」とよばれている土地である。明らかにゼブラとは後から付けられた名前ではないだろうか。土地の人々が慣れ親しんでいる呼称がなぜ、このように変えられてしまっているのだろう。この山を50山に選んだのはSさんであり、この名前について懐疑を強く抱いているのも彼女なのだが、誰が考えても「男女倉山おめぐら山」が正当なのではないだろうかと、考えさせられた。ここだけではない。その土地に伝わる山の名称が変えられてしまっている例は多い。「白駒池:しらこまの池」「金峰山:きんぽうざん」など。土地の人々が呼んでいる名称を受け継いでいきたいものだ。
もうひとつ。現在は鹿の食害に苦しめられニッコウキスゲが激減している霧ヶ峰である。
ともあれ、今日は八島湿原の周囲を取り囲む山々を一周する。爽やかな秋の風を楽しみ、冬の霧ヶ峰を想像しながら歩くハイキングに出かけた。
長門温泉やすらぎの湯に集合。駐車場が広くコンビニ、トイレ、お土産屋、温泉などがある。最近流行している車中泊をしていたらしき車がたくさん止まっていた。車から電気を引いてご飯を炊いていた人もいたとか。
新和田トンネル手前から右折してビーナスラインに入り、八島ビジターセンターのあるPで駐車。北アルプスの展望に歓声を上げる。唐沢岳・奥穂・北穂が稜線を青空に描き出している。残念ながら、今日はカメラが悪い上に落ち着いて撮っていなかったらしい。それでも穂高の魅力、あの岩肌の感触が蘇る。
しばらく八島湿原湖畔を歩き ・・・鎌ヶ池・・・草紅葉・・・
2Mほどの高さがある金網が張り巡らされ、木道を横切っている。ニホンジカから植物を守るための防護柵である。ドアが着けられ、上下二段になった扉には簡単な留め金が着けられ、外して通り抜けるようになっている。この湿原全体をぐるっと取り囲んでいるらしい。作業をしている方がいたので、どのように設置されたのか伺った。材料費は県が持ち、作業はボランティアとのこと。この広大な範囲となると、ボランティアも並大抵なことではない。延べどれくらいの人数があったのだろうか。なかなか出来ることではない。霧ヶ峰には5か所囲いを作ってあるが、霧ヶ峰全体からしたら、ほんの僅かな部分に過ぎない。山全体がニッコウキスゲやマツムシソウに囲まれていた山はもう見られないのだろうか。
この柵から外に出た地点では、ニッコウキスゲが咲いた跡が無い。マツムシソウがたまに見られるが、ほとんどは花が食いちぎられつんとした茎だけが残されていた。
数少ない貴重なマツムシソウ。
トリカブトの紫が目に飛び込んできた。蓼科の頭が覗いている。(男女倉山中腹)
浅間山・黒斑山・高峰山・水の登・籠の登を望む(男女倉山山頂)
初秋の富士(山彦谷南の耳より)
八ヶ岳連邦 西岳・編笠山・権現岳・朝日岳・阿弥陀岳・赤岳・横岳・硫黄岳・天狗岳・麦草峠
険しく、大きな権現、赤岳、阿弥陀がこんなに小じんまりと見えるとは想像もしていなかった。
蓼科山のゆったりした山容と青く深い緑が迫る
車山スキー場から車山山頂まではリフトと登山道が整備され多くの観光客で賑わっていた。
ユウガギクの密を吸うヒョウモンチョウ
最後に旧御射山遺跡。ここは、日本最大、最古の円形桟敷式野外競技場である。約2万人の人を収容できる桟敷が山の中腹に石を敷いて作られているという。平安時代~鎌倉時代ここで盛大な祭礼が行われた。・・・と言うが、すすきに覆われた周囲の山々からはどうも想像しがたい。小さな祠の周囲だけ草が刈られていた。その前に湧水があったが、濁っており飲めそうもない。「兵どもが夢のあと」は廃墟と化していた。石造り桟敷の跡が少しでも覗いてみたかった。(草の段々で想像できる程度では満足できない。)
湿原から吹き込む風は、南の耳と北の耳のコルを目指して駆け上がる。ハングライダーには最適な場所になる。冬を考えると厳しく過酷な状況が目に浮かぶ。湿原周囲を廻ってスノートレッキングまたは、車山からわずかに滑り降りて登り返すそんなところだろうか。風さえなければ今日のコースを一周、別天地となる。なだらかな丘陵に真っ白な雪が積もる姿の観賞にぜひ一度は訪れてみたい。雪質は保障できない。クラストしているでしょうね~
双子山・双子池 [山行2011]
双子山2224m・双子池 9月12日(月) 気まぐれ山行
8月中旬以降、小川山、七倉沢、そして岩講習、やまなみ発送作業と続き、岩には行っているが山を歩いていない。さらに、残暑が厳しく佐久の高原でも毎日30度を超えている。
・・・・高い山の清涼な風に吹かれたい、山に入りたい・・・・
今日は天気がいいし、9:00には掃除も終わった。「出かけよう!」ということで、歩荷訓練、新品一眼レフカメラ試写会を目的に出発。
目指すは双子池。大河原峠まで我が家から車を走らせ約30分。標高2000mに来ると窓から入る風がひんやり、寒くさえ感じる。
大河原峠11:00過ぎに出発。ナナカマドが色づきはじめトンボが飛び交い秋を感じる。
双子山までゆるやかな登りを楽しむ。山頂まであと少しの地点で、白髪のおじさんが下ってきた。「いいカメラですね。」と声を掛けてきた。聞くと臼田町の方。「いつも下から眺めている おそなえ山に登ってみたいと思って、今日は天気がいいので来ました。」「山頂から向こうはずっと平が続いていますよ。」「これから女神湖に廻って、権現の湯に寄って帰ります。」「権現の湯は百円で入れるんですよ。」といろいろ話してくれた。
足元を見ると赤い地下足袋に足の甲へ滑り止めを付けている。「これが一番歩きやすいので、革靴は最近履いていません。」と言う。編んである細いビニール紐を幾重にも巻いて、菓子袋の上を縛っている銀色の針金で止めている。地下足袋は、ゴム足とも言うが、これはなかなかいいかもしれない。
ゆっくり40分で山頂に到着。佐久の山々が連なっている。
反対を眺めると蓼科山。
残念ながら、浅間山方面はガスが掛かって見えない。ここからひと下りすると双子池。登山道の脇に生える笹が覆いかぶさり、下の起伏が見えない。一人の山行はこんな時、熊やら、何やら出てこないかと怖くなる。しかし、この辺りに熊はいないと蓼科山荘のおじさんは言っていた。雑音が混じるラジオを響かせながら下る。
双子池雌池
双子池雄池
湖沼の水は澄み、湖底まで透き通っている。
・・・・ひとり座る湖岸。さざ波を揺らす風が柔らかく頬をなで、深い緑に包まれる・・・・
ここから大河原峠まで林道の楽な道もあるが、せっかく15㎏も背負ってきたのだ。双子山に登り返して登山口へと戻った。
秋風が吹き抜ける大河原からの小諸方面の眺めが爽やかだった。
今夜は中秋の名月。月見団子を作り、孫たちと雲に見え隠れする月を楽しんだ。
講師研修会 [山行2011]
講師研修会 8月27日(土)28日(日) 受講生15名
久しぶりにこの講習会に参加。岩復帰にあたって、ザイルワークとレスキューの基本を見なおしておきたいと考え参加。長野県山岳協会会員なら誰でも参加が出来る。一日目会場の大町公園人工岩場に着くと、山岳会の仲間Mさんもいた。名簿を見たらMさんは、山岳総合センターのリーダーコースを昨年終了していた。年間通してのハードなコースであり、夏山、岩、冬山などオールラウンドにこなすことが出来るようになる。山を本格的に始めようとする人にはぜひお勧め。
<一日目>
① 空中懸垂下降・・・バックアップをとった。今まで私は下降機の上にバックアップをとっていたが、これは拙い。下降機の上ではバックアップ一本だけで自分を支えることになり、危険である。下だったら、手を離したり、バックアップが効かない時でもバックアップしたロープなどが上に移動して止まることが出来る可能性が大きくなる。 また、空中懸垂へと垂直に入る時、下降機が岩に触ると動けなくなる。いきなり、空中となるときには斜めに前を向いて座ってから入ると上手くいく。
② 懸垂下降中の仮固定・・・下降機とロープとの間に持っているロープを挟む。下降機をセットしているカラビナに下のロープを通し、下降機の上で一巻きして、片結びで止める。これで、自分はフリーになることが出来る。 僅かな作業の場合は、太ももに3巻きほどして仮固定をするのが楽。
③ 登り返し・・・足で上がるためのループと腰で支えるための登高システム(プルージック・ユマールなど)を利用して上がる。ポイントは、腰でぶら下り・足のループを上げる・足で上に登る・・・このリズムが大切。・・・ぶら下り上げて登る・・・・・さて、降りよう。・・・ここが一苦労・・・1.下降システムを作って今までのシステムを足、腰の順にとっていくのだが、最後、腰のプルージックをとるために、下降システムが下になり過ぎないように注意すること。下降機に移る際、自分が下に行きすぎて、プルージックを外せなくなる。何回かやって、美味い方法を取得しよう。
意見を出し合いながら、これらを習得。
こんな中で、今までずっと間違っていたことを発見。何と、ビレー管の使い方である。上から北ロープは上から入り、出て行くロープは下から出る。・・・今までひねれていた。 もうひとつ、ザイルのまとめ方で私はいつもねじれてしまっている。直しておきたいことだ。
その後、七倉沢へ移動。それぞれにツエルトを張り、夕食は、急きょ準備してくれたジンギスカンとビールワインで乾杯。沢音のうるさい岸辺で休んだ。ここ2週間は毎日夕立があった。しかし、今日だけはない。行いがいいことが証明された・・・・シュラフとシュラフカバーにくるまって、ぬくぬくと眠り込んだ。
<2日目> 沢での実践的な危急時対策
① 支点の構築でハーケンを打つ。
② リードが落ちた場合の救助・・・先ず仮固定(プルージックで)次に本固定。自己ビレー解除して登り、上に架かっている部分の補強。救助。となる。
③ 高さ15Mほどの滝の上部から背負い懸垂・・・背負い方が問題。きとんと背負っていないと横にずれてしまうことが分かった。ザイルで背負う、シュリンゲを使うなど様々な方法を試行錯誤。二人に付ける下降機までの距離が問題になった。ちょうど背負い者の肩から三角形に伸びるくらいがよい。バックアップは、アッセンダーを使う。滝の横は悪いブッシュ。岩を降りるよりずっと緊張。私は、体重が軽いので、背負われるやくになったが、それでも力が入った。
③ 吊り上げ・・・セカンドが落ちてしまった場合である。3分の1で行う。最初、カラビナのみで上げようとするが、足で全体重をかけても無理。滑車3か所を使うと、難なく上がる。大男2人を上げることが出来た。道具は便利。
すべて終了して下山。帰りの沢はじゃぶじゃぶと渡渉。
道具とその使いこなし、時々はレスキューを試みる大切さを学ぶ、充実した二日間になった。
木曽御嶽山 湖沼巡り [山行2011]
木曽御岳山 8月8日~9日 メンバー H・N・O
10年ぶりの山仲間が集まった。滋賀県から駆けつけたOさん。上田のNさん。今回は3人だが懐かしい面々。前泊してこの10年を語り明かす。他のメンバーの近況に始まり、それぞれの山の話に花が咲き、山登りのための体力そして、家族、特に年老いて行く父母の心配、山道具や化粧品・・・と話は尽きない。
翌日、白みかけると外は声がして賑やか。見ると道向こうには神社があり、白装束をまとった方たちが参拝していた。信仰の山、御岳か。と思わされる。朝食時には宿の女将さんは神社参拝の皆さんにお茶を振る舞う。すると、何人かが中に入ってきて土産物を買って行った。信者への心配りが即商売繁盛に結び付く?。どちらが先なのだろうか。
オーソドックスに田の原からの登山道を選択。登山口に立派な山門。
しばらくはゆるやかな広い砂利道を行く。徐々に傾斜を増し、木の階段になるころ、疲れた顔で下って来る人にぼちぼち行き会う。この顔色からすると、どうも昨夜または今朝の未明に登ったのではないかと思われる。それから、白装束を着けた人が次々に下ってきた。中には修験者の方々も。
多くは木製の八角杖。位のある方は、錫杖を手にしている。御岳山は、神仏混合の山と聞いてはいたが、この方々に話を聞いてみた。天台宗で最澄の流れを汲むものだという。群馬県の皆さんで、女の方は仏教大学で学んできたと話してくれた。御岳には毎年登って、8月8日午前1時に山頂で護摩を焚き、下では松明を焚くのだという。その後からもぞくぞくと信者が下って来た。横浜から来た講は、60人もの長蛇の列。お年寄り、若者、中には小学生までいた。
8合目近くなると登山道も急になり、大きな石がごろごろしているので、狭い登山道で、待ったり、待ってもらったりしながら登った。
途中には祠、金剛像、石仏などが要所要所にあった。王滝頂上には大きな小屋があり、すぐ上に神社が祭られていた。そこを通り過ぎるとザレた山稜が剣が峰へと続く。
シュー~~~~~と勢いよくガスが噴き出す音が聞こえてきた。「もしかして・・・・火山御岳の姿か」と見渡すと、剣が峰の中腹から白い煙が噴き出し、硫黄の臭いも鼻をつく。
火山活動によって形成された御岳はまだまだ活動を継続している。今後も、大きな噴煙を上げるかもしれない。
御嶽山山頂。何と最後の登りは、コンクリートでしっかり作られた階段を30段余。上り詰めたそこには仏像が何体か祭られている立派な社。横の小屋では、数人の男の方が白装束でお札を売っている。社をバックに多くの信者たちがにこにこしながら記念写真を撮っていた。
ここが、3000mなのか。何だか2000m位は急下降したように感ずる。頂上の端にやっと見つけた山頂の道標。そこからは、二の池が下の山々とともに鎮座していた。二の池向こうが賽の河原。登山道は摩利支点に向かっている。
まだ時間が早いので、五の池まで足を延ばすことにする。摩利支点を巻いて三の池の上をトラバース。途中崩落した場所があり慎重にわたる。
三の池、それはコバルト色の水を満々と湛える美しい湖だった。
草原にはクジャクチョウが、アキノキリンソウに群れていた。
五の池山荘は今年建て替えて新しくなっている。何十周年記念の時には多くの人が集まり、薪ストーブを40人もの協力があって背負い上げたという人気の小屋らしい。
五の池のほとりに建ち、すぐ下には四の池と三の池を眺望できる。信仰の山御岳と少し離れ、一般登山者が10人ほど宿泊。ちょっとほっとする。夕方外を散策。
五の池から継子岳への稜線にはコマクサが群生。
湿原が広がる四の池からは刻々と変わる空に魅せられた。
虹
夕焼け
ご来光
山ガール弁当 [山行2011]
北アルプスゴールデンコース縦走Ⅴ 山ガール弁当
富山駅前で一泊し、車の止めてある扇沢まで帰らなくてはならない。富山~糸魚川~大糸線~信濃大町~扇沢となる。ところが、駅に行くとまたしてもアクシデントが。新潟方面は現在豪雨のため特急は運転休止中とのこと。各駅停車なら動いている。糸魚川まで行っても大糸線もいつ止まるかわからない状態。東京方面の人は、名古屋回りを勧められていた。
仕方ないので、鈍行発車までの一時間を駅でぶらぶら。構内のすし屋を覗くと、山ガール弁当なるものを見つけた。 これひとつ持てば、後はいつ電車が止まっても怖くない。どこでもビバーク可能。
~~~~ 弁当を抱え北陸路鈍行列車に乗る。 ~~~ふふふ可愛いでしょう~~
糸魚川駅でもう昼時間・・・待ってました
豪華!!!!
さんかくずしは 「鯛」 「甘海老とおぼろ昆布」 「茗荷」が乗って、笹に巻かれている。
ホタルイカたまご ずわい蟹茶巾 白海老唐揚げ 赤巻きかまぼこ トマトのコンポート(この下には透明ゼリーが入れてある) パプリカのピクルス
・・・・・・・・・・・ 最高 ・・・・・・・・・
昨夜は、新鮮な海の幸でぐっと一杯! 今日は可愛い弁当に舌鼓!
大糸線にゆられ信濃大町駅ま で山と渓谷をのんびり楽しみ北アルプス奥山縦走は終わった
薬師小屋~折立~富山駅 [山行2011]
北アルプスゴールデンコース縦走 Ⅳ
薬師小屋~折立~富山駅 撤退 7月28日()
天気予報によると明日は富山県北部から新潟県にかけて、集中豪雨になりそうな雲の動きだった。合羽がゴアではないので背中から雨が浸みてしまうような代物。雨中の縦走はできない。そこで、折立への下山を決める。昨日前後していた二人が「ご一緒しませんか」と言ってきた。折立は初めて、電車やバスなどと言うものもあまり乗ったことがないので、知っている二人とご一緒することにした。
朝、物凄い風と横殴りに叩き付けてくる雨。心配したが、小屋の頼りになりそうなおじさんが、「ここを15分だけ歩けば後は大丈夫。」と何回も言ってくれたので出発した。その風と雨は猛烈。ばしばしと横から容赦は無かった。言葉通り15分で嘘のように稜線の陰に入ることができほっとする。雷鳥の雄が出てきて送ってくれた。
しばらく行くと樹林帯に入る。と同時に登山道は沢を下っているかのようになった。さらに進むと川を右に左に渡渉しながら下る。まったくの沢下りを強いられた。地図を出して道を確かめながら下る。
太郎平小屋に着いてみると、薬師沢の橋は流されて通行止めに。やはり下山に決めて良かった。一気に下り、10時40分に有峰登山口に到着。
ところが、10分前にバスは発車してしまった。次は2時間も待たなくてはならない。しかも、待っていてもそのバスで下ることが出来ないという。「大雨のためにたった今、道路が通行止になりました。」とのこと。ここに宿泊施設は無いし、下れないし、途方にくれながらも、車掌さんに頼んで、バスの中で待たせていただくことにする。
バスの発車時刻が近付くと、道路管理の方と運転手が相談をしていた。通行止め解除にはならないけれど、お客様がいるので、特別に下ってくれることになった。
自家用車の方も行ったり来たりして、通行止めが何とかならないかと話しかけていた。それを見た運転士さん、窓を開けて「つんでこられ~」と叫んだ。「はあ~?」ああそうか、「ついていらっしゃい。」・・・だったのか。融通を効かせてくれる運転手さんに心が温められた。
有峰口の亀谷温泉に入った。ここでは、有峰口駅まで電車の時刻に合わせて駅までマイクロバスで送ってくれた。風呂上がりでさっぱりとして富山駅へと向かった。
有峰口から富山駅まで電車の旅。杉並木の向こうに端正な佇まいを見せる村が見える。ここら辺りの村々の名は、「宇治長次郎」という本に書かれていたように思う。明治時代の山案内人宇治長次郎について書きながら、立山の歴史に触れている本なのだが。富山駅から遠くも無いのに随分山の中を走っていた。
スゴ乗越~北薬師岳~薬師岳 [山行2011]
北アルプスゴールデンコース縦走 Ⅲ
スゴ乗越~間山2585M~北薬師岳~薬師岳2926M
7月27日 ( 後 )
スゴ乗越小屋6:30~間山8:00~北薬師岳10:00~薬師岳11:30~薬師岳山荘12:00
スゴ小屋のスゴは、「数」と「合」でスゴと昔は書いていた。数を合わせる。猟師が何人かで山に入り猟を終えた後、スゴ乗越で集合し、猟師仲間の数を確認する。または、猟で得た獣の数を数える。という場所であることから付けられたという。・・・こんな険しい山で猟をする。事実は分からないが、それと似通ったことがあったことには違いあるまい。小屋で読んだ記念誌をもう少し読んで知りたいことだった。
小屋を出発して樹林帯を1時間。小さな池のほとりで休憩。ガスっていなかったら水晶岳辺りが見えるのだろうか。足元にあるアオノツガザクラに癒される。
間山の山頂。この稜線にある木で作った道標は殆どが白く風化していたり、倒れている物が多く、それに代わって、木製の30㎝角の板に金属を貼った国土地理院の道標が立てられている。分かりやすいが無味乾燥で記録にとどめるにはいいが、写真に納めて思い出として残すという代物ではない。間山を越したカールにはハクサンイチゲ、シナノキンバイが咲き誇っていた。
霧が一瞬晴れた隙に覗いた北薬師までの稜線。なだらかな尾根が続いているように見えたが、この先で登山道は左側のザレた場所をトラバース。その先は大きな石が積み重なっている上を渡った。ガスが濃くなり、時々霧雨も降る。踏み後が分かりにくい石の登山道を見失わないように歩いた。徐々に風が強くなってきた。飛騨側では風に吹かれ、信州側では斜面をトラバースそんな登山道が続いた。
信州側のカールはお花畑となっており、楽しみながら行く。
シナノキンバイ ハクサンイチゲ
ミヤマダイコンソウ ミヤマヤハズハハコグサ
北薬師岳を過ぎると同時に山は険しくなる。僅か幅が1メートル、岩が積み重なり、両側は切れ落ちて蟻の戸渡りに尖った石を付けたゴジラの背のような稜線も出てきた。
あまり風が強いので、カール側に入り込んで休憩をとる。オレンジ色の合羽を着た2人のお兄さんが「こんにちは。」と声を掛け、風に吹かれながら立ったまま手拭いでほおかぶりをして、すれ違って行った。後で聞いたらグリーンパトロールをしている人だったとのこと。はは。カールのお花を踏みつけていたけど、飛ばされる様な風だからまさか「出てください。」とは言えないでしょう。
びゅんびゅん風に吹かれながらも雨は降っていないので助かった。薬師岳山頂に到着。上には立派な祠があり、木の道標も薄くなってはいるが見ることが出来た。ここから約30分。ザレたゆるやかな広い斜面を風に吹かれながら下って薬師岳山荘に到着。今年建て替えて新しい。小屋が綺麗というので先まで行かず泊まることにした。
前後して歩いていたご夫婦らしき二人は先に到着していた。「風が吹いて怖かったです。」「前に雲の平で低体温症になったので。」と言う。「休みました?」と聞くと「風の中なので、立ったままで少し。」・・・・やっぱり・・・今日は雨が無かったからよかったけど、こんな中では休む場所とタイミングを逃しては低体温症への道につながってしまう。ハイマツでも岩でも入り込み、風を避けながら休み、エネルギーを蓄えて歩きたいものだ。
五色ヶ原~スゴ乗越 [山行2011]
北アルプスゴールデンコース縦走
Ⅱ 五色ヶ原~スゴ乗越 7月26日( 時々 )
落語 今日はちょっとした落語家が来ていますので夕食後高座を持ちます。どうぞお集まりください。
食堂の机に毛布を敷いてそこが桟敷となった。さて、どんな落語家かと待っていると・・・何とさっき風呂にご一緒した女の方。今日は、天狗平・雄山・大汝山・五色ヶ原へと来た健脚の彼女だった。2年半前から桂三枝師匠について始めたという。名前は「天神亭吉幸さん」お題は・・・・聞き逃した。長屋に住むむさ苦しい男があるお屋敷から嫁さんを迎え、言葉遣いの違いにあたふたとする擦れ違いが生ずる、というストーリー・・・素人ではあるがその賢明さに惹かれる。「わたしでっかあ?山で落語とは落伍しないようにお気を付けなさい。てえ話でまんねん。」「山の上は寒うなってございますなあ」・・・・・・・「ありがとさんでした。」とは言わなかったか。
山小屋泊は、どうも5:30出発というのが定番らしい。私のように5:00に出してくれる食事を食べ、6:30出発になるともう殆ど誰もいない。朝食は弁当にしてもらって途中で食べているらしい。午後になれば天候悪化もあるのでいいかとも思うが、食事と排泄はしっかりして出かけることが山の美化にも繋がる。何でも急げばいいというものでも無いだろう。
さて、今日の行程は 五色ヶ原山荘6:30~鳶山7:15~越中沢岳9:30~越中沢乗越10:30~スゴの頭11:10~スゴ乗越12:00~スゴ乗越小屋13:40
五色ヶ原から越中沢岳まではゆるやかなアップダウンで花を楽しみながら歩く。
ヨツバシオガマ ハクサンボウフウ アオノツガザクラ・イワカガミ
リンネソウ ウサギギク
ハクサンシャクナゲ
ウラジロタデ♀ 美味なノウゴウイチゴ
ヌクイ沢の向こうに黒部ダムが見えている
越中沢岳からの下りを地図で見ると結構な急坂である。どんな所なのか考えもしないで進むと、下り始めてすぐ、3Mあまりの絶壁が下に向かっていた。古いロープと黄色いきれいなロープが掛けられている。懸垂下降もどきに下降する。まさかこんな一般登山道ってあったの?とややびっくりさせられる。登りは?と見たが、つるつるしていてホールドが殆ど無い。荷物を背負った登りはきついだろうなあ。どうりで、横の土を伝わったのか下は新しい泥が溜まっている。今まで通った一般登山道、穂高の稜線より険しいのではないかと思われる。なかなか下り慨があった。
ミネズオウ
ミヤマママコナ
そして スゴの頭へ 頂上は登山道からやや逸れている。休んでいると後から昨日雷鳥を教えてくれた方が追いつく。反対側からは娘とお母さんらしき二人が息を切って登ってきた。汗を拭きながら「ここまでの登りは大変でした。足が上がらないし、リュックはつっかかるし・・・疲れているせいもあるけど、大変でしたよ。」と言われたが、下ってみたらさっきよりはましで、不通に下ることが出来た。スゴ乗越で一休み。ガスってはいるが、時々赤牛岳の大きな山容と水晶岳を覗くことが出来た。スゴ乗越小屋が見えたのでここから僅かかと思ったが、樹林帯の中を以外に長い登りがあり、息を上げてテント場そして小屋に到着できた。
アカモノ
夕方、ややガスが切れた。小屋の前に聳える山は「薬師岳ですか?」と聞くと、何と今日登って下りてきた越中沢岳だった。方向音痴もいいところだ。随分険しい山を下りてきたと眺めた。
台所からいい匂いがしてくる。二階のテラスで読書をしながら夕食を待つ。
ご飯・味噌汁・天麩羅(茄子、さつま芋、獅子唐、梅の甘酢漬け、マカロニサラダ、キャベツの千切り、酢の物、林檎、煮物(里芋、人参、昆布、椎茸、凍み豆腐)味噌汁には多彩な茸がたっぷり。そしてイチオシが煮物。正月のお煮しめのよう・・・このにおいがしていたのだ。この山奥でこんなに手の込んだ料理を戴くとは何と贅沢なことか。精進好みの私にぴったり。朝食もまたまた他の小屋とは違う。スクランブルエッグ、ハム、鰊の甘露煮、ひじき、蓮根、キャベツ、のり、パイナップル、麩の味噌汁、ご飯味噌汁とスクランブルエッグが美味しい!食堂スタッフのおじさんの対応がまたいい。丁寧で美味しいものを食べていただこうと言う気持ちが伝わってくる。このコースを歩くなら小屋はスゴ乗越!に決まりです。
立山室堂~五色が原 [山行2011]
北アルプスゴールデンコース縦走Ⅰ 2011-7-25・26・27・28 単独行
そのⅠ 立山室堂~五色が原 7月25日 ( 後 にわか)
扇沢7:30~室堂9:10~浄土山登山口10:00~一の越分岐11:30~獅子岳13:30~ザラ峠 14:30~五色ヶ原山荘15:40
扇沢駐車場へ7:00に滑りこむ。佐久を出たのが5:10だったので車をとばしてやっと着いた。トロリーバスが6台も連なって出発。中高年に混じって、夏休みになった家族連れ、高校生の団体もあって賑やか。夏山シーズン真っ盛りである。
室堂平へこの季節に訪れたのは初めて。散策道わきのシナノキンバイ、チングルマが美しい。
しばらくは石をコンクリートで固めたやや急な散策道を登る。途中お年寄りと息子さんであろう二人が休んでいた。「展望台まで行こうと思いましたが、ここで満足します。リュウマチで足が痛いのでこんな靴ではこれ以上は無理です。いいですね。頑張ってください。」と声を掛けられた。振り向くと、室堂平が雪を残した雄山の山々に囲まれ、青々と広がる。ここで佇み胸いっぱいに山の空気を吸える・・大地のエネルギーがじんわりと伝わる・・・「ここで座る幸せを存分に味わってください」朝起きてから切符売りのお姉さんとしか話していなかったので声を掛けられ嬉しかった。「話が出来て、この登山のいい出発になりました。」とお礼を言って、そこからの苦しい登りを頑張った。
一登りで浄土山登山口へ。雪が残っている。
浄土山山頂は登山道から右に10Mほど逸れて雄山への道にある。先を進んで一の越分岐で休憩。「富山大学立山施設」という小屋があり、その前には気象観察塔が設置されている。
「雷鳥がいますよ。」と大きな荷物を背負った30代の男性が教えてくれた。親鳥が草のくぼ地で泥浴びをして羽を震わせ埃を立てながら出てきた。その向こう、雛がちょこちょこと一瞬姿を見せ、また草むらに隠れてしまった。生まれたばかりのひよこで目がくりくり!羽はまだふかふかで綿毛のよう・・すっごく可愛かった。
鬼岳付近では雪渓を2か所ほどトラバース。歩く場所は切り込みが付けられ、整備されている。
鬼岳と獅子岳の鞍部には高山植物が咲き誇っていた。
ハクサンフウロ・クルマユリ・クロトウヒレン
ここから一登りで獅子岳に到着。上から眺めると、正面に立山カルデラの赤い切り立った断崖、その上に五色ヶ原が広がる。鳶山を頂点に広いすそ野の広がりが五色ヶ原だった。大きな小屋も見えた。ここからザラ峠まで一気に下り、あの草原を目指す。
ザレ場を行くと随分難儀して下る親子に追いつく。テント泊らしく荷物が大きい。小学校高学年~中学生の子どもさん二人、それにお母さん。お父さんはずっと先に下っている。少し後を行くと道を譲りながら、「どうやって歩いたらいんでしょう。」とお母さん。「そうですね。小股で、動きそうもない埋まっている石に足を掛ける感じがいいかもしれませんね。ゆっくり行きましょう。」と先に下りた。お母さんの靴が運動靴。下りはきついでしょうね。オタカラコウの群生地をザラ峠まで下る。
イワギキョウ
ザレている下りは結構足に来た。この峠からはあと僅か。130Mほど登ればよい。しかし、雨が降り出した。先着の3~4グループの昼食をとっていた皆さんも、合羽を付けた。私は上着だけ着け登りにかかった。ところが、たちまち雨脚は激しさを増し、殴りつけるような降りになってしまった。こんな降りしきる中でズボンをはくのは大変。小屋まですぐなので濡れるのを覚悟で歩いた。草原まで上り詰めると、ハクサンコザクラが咲きはじめる湿原に到着。ようやく小降りになった。小屋に辿り着いた時にはすっかり雨も上がった。
秘湯 [山行2011]
京塚温泉 露天風呂
野反湖へ向かう国道405号は白砂川が並行してながれているが、川沿いには幾つかの温泉がある。今回、思いがけずいい湯に入れたので記録しておこう。
湖から約18キロメートル下った京塚と言う所にそれはある。「とうふ」という木で作った趣のある大きな看板と隣のガソリンスタンドが目印。
とうふやに声をかけたら、鍵の着いた手形を渡してくれた。おひとり様500円。「2か所あるので、男湯、女湯となっていますが、家族風呂として使っていただいてもいいですよ。」「何時間でもごゆっくりどうぞ。」と案内された。
道を川の方に下り、橋を渡った所で左に入ると粗末な小屋のような建物(塀)があった。鍵を当てると開いたので入らせていただくこととする。
入口電気のスイッチを入れると電柱のような柱のてっぺんに一つだけ明かりが燈った。
石積みの岩から湯が音を立てて注がれている。さっそく湯に浸かる。広い湯ぶねの向こうは川そして山が続いている。目の前には、石楠花が植えられ、サイドの板塀の上には山ぶどうのつるが伸びている。水道からホースで水をずっと注いでいるが、それでも熱めの湯は、山歩きで疲れた体に浸みて心地が良い。
周囲に何も施設がない 湧き出た湯をそのままつかっているこの風呂はまさしく最高の露天風呂。
掘ったら湯が出てきたので、地域の皆で作ったのが5年前のこと。湯量が多く、隣に女湯と男湯の内湯がある。湯量は豊富で、4か所に架け流してもまだ余っているらしい。
素朴さと手作りの心をゆっくり体に沁み込ませた